2017年10月11日水曜日

NEW COMER SHOW CASE #1 山崎広太『ダンスは日常生活ダ!第2弾』

9月17日(日)
国内ダンス留学@神戸6期生  NEW COMER SHOW CASE #1

山崎広太・振付『ダンスは日常生活ダ!第2弾』   @ArtTheater dB Kobe



国内ダンス留学@神戸の6期目が7月末に開校し、各講座の成果として上演されるショーイングの第一弾が行われた。振付は山崎広太。都合により1日早くゲネプロを見学させてもらう。山崎が講座をもつのは昨年に続き2年目。今回もショーイングの会場内にはひな壇式の観客席を設けず、舞台上から客席フロアまで全面を使ったスケール感あふれるパフォーマンスだ。ダンサーたちは舞台袖にハケることなく(ソデの幕も取り払われているので)、いったん開始したら最後まで踊り切るほかない条件のもと、大海原に漕ぎ出すようにショーイングに臨む。

山崎の作品では踊り手の喚起するイマジネーションが場の意味を様々に変化させる。昨年のショーイング作品でいえば目の前に現れ出る光景はニューヨークの街角だったり、新長田の町中だったり、ナイトクラブのダンスフロアだったり。ほとんど静止し、わずかな身体のブレのみが入るようなスタティックな佇まいから、ダンサーがひとりずつ呟くように言葉を発するポエティックなシーンをはさみ、音楽とともに徐々にエネルギーがその場を満たしてゆく。気が付けばけたたましい喧騒に満ちた都市の祭りへとシチュエーションが変化している。様々なスタイルの踊りで構成される各シーンが切れ目なく続くに従い、劇場空間のボルテージも変化する。この緩やかで大きな波のようなダイナミズムに身を泳がせながら、ダンサーたちは動きと身体の様々な表情や質感を作り出していくのだった。

さて今回のショーイング。会場に入って開始を待っていると6期生たちが気さくに話しかけてくる。ちょうど台風が近づきつつあり近畿上陸の予報が出ていた日、一人の女性ダンサーに「外の様子はどうでしたか?」などと尋ねられ、こちらも「ダンサーの皆さんの衣装が素敵」と話題を振り、これは演出なのかと頭の隅に疑問符を浮かべながらも、ウェルカムな心情を示してくれるダンサー達との他愛ない会話に興じた。やがて音楽が鳴りダンスが始まるが、最初の盆踊り「東京音頭」にも、続くディスコ(クラブ?)でするパラパラ風の踊りにも、観客が誘われ、ステージに上がって一緒に踊る。ここまではいわばプロローグ。客席と舞台の境界をなくして人々を巻き込み、これからここで起こる出来事が誰にとっても現実であり日常であり、誰もが主役であるというメッセージだ。講座では山崎と6期生たちが新長田の町に出掛け、地域の盆踊りに参加するなどの交流をしたという。今期は海外からも留学生が集まり、共にダンス三昧の日々を送ることになる。その出会いへの祝福を込め、小さな点である新長田が世界につながる感覚と、日常に組み込まれた祭りの時間、誰をもその輪に招き入れる盆踊りの形をとったセレブレーションを舞台に立ち上げる。

6期生によるダンス本編では、ダンサーたちがステージ上と、その両端から階段を下りた客席フロアの全体に散らばり、胸のすくような空間の広がりの中でパフォーマンスを展開した。場面の設定はより抽象的。踊りはカウントによる振付ではなく、動きにならない動きの萌芽のようなもの、振付言語となる以前の喃語のような動きをみせている。胸の前で両の手を淡くゆらめかせ、関節をあらぬ方向へたわめ、「直立」にあるような調整・統合の解除された身体で佇んでいる。

ここは混沌と生成の渦巻く“ダンス以前”の場所であり、内と外の境界はなく、自他の認識は外され、 ダンサーたちの漂わす気配は星雲のように曖昧だ。確かな核をもった「個」の存在とは異なるあり様でそこにいる。(そういえばダンスを「存在」で語るなどナンセンスだという呟きを最近見た。)そうした中、ダンサーたちの身体から、今日までの舞踊人生の中で各々が身に付けてきた既存のスタイルの踊りが不意にこぼれ出る瞬間がある。曖昧な佇まいの中に唐突に甦る舞踊言語の記憶。それは生成されるダンスの予兆でもあり、彗星のように現れては消え去る踊りの言語の欠片でもある。脈絡なく現れる踊りの欠片は鮮やかで、強烈だ。

或いはまた、不意にステージ上と客席フロアとに遠く離れた身体が、あるいは触れ合うほど接近している身体同士が、動きのシンクロニシティを見せる瞬間もある。二つの身体、異なる時間が偶然に呼び合い、星雲のあわいに光を放つように、明瞭なダンスの形をひらめかせる。混沌(山崎の言う「暗黒」?)の中に一筋の理知の光が通り抜けていくイメージであり、スケール感、速度と並び、山崎広太の作品に見られる鮮烈な魅力の一つだと思う。

6期生には海外から入学してきた人たちもいて国際色豊かな顔ぶれだ。アランのアフリカン・ダンスのステップや、西洋人の女性のバレエのパとフレーズ。一概には言えないが、海外からのダンサーは強い身体性と強固に仕込まれたダンステクニックを備えている人が多いようで、そのことがテクニックを解除しダンス言語獲得以前の身体に立ち返るような本作のタスクを、幾分困難にしているようにも見受けられた。逆に、これも一概に言うべきではないが、日本人のダンサーは喃語の段階にある身体をさほど困難とせず、現在の自分自身とそう遠くないものと感じているようだった。それだけ“ナイーブな”身体を保っているということかもしれないし、あるいは舞踏の身体観の影響があるのかもしれない。本格的に舞踏を学んでいなくとも、日本でコンテンポラリーダンスを踊る環境の中にはなんらかの形でその身体観、舞踊観に触れる機会はあり、明瞭なフォルムやステップとして成形しない身体表現というものがあり得ることを理解しやすいのかもしれない。そしてそうでないダンサーにとっては、テクニックの「鎧を外す」ことは国内ダンス留学@神戸第6期における一つのテーマとなるのかも知れない。

山崎と6期生たちはカリキュラムの中で新長田の盆踊りを体験し、触発されるものがあったようだ。プロローグに見たように、本作は人々の集まりと、営々と営まれる祭りの習慣に想を得ているのだろう。『ダンスは日常生活ダ!』のタイトルには、ダンスを日常に引き寄せ、誰にもアクセス可能なものにするという民主的な意味と、ルーティンの中にあるベタ足の日常から踵を引き上げ、イマジネーションの力でどこにでも走っていける思考と身体を持つという意味の二つがあると思われる。日常をセレブレイトするダンスの想像力が私たちを突き動かすとき、私たちの身体は世界のあらゆる広場や路上とつながることさえできるのだ。



2017年10月4日水曜日

「アジアの舞台芸術、最新事情!」を聞く 

2017年9月29日(金)

習俗とアート夜話 -新長田アジア学ー 第六夜
「アジアの舞台芸術、最新事情!」

講師 矢内原美邦(ニブロール主宰)

@ミャンマー食堂tete


新長田で毎年秋に開催される「下町芸術祭」。
これをより深く楽しむための予習として、本年は「下町芸術大学」という講座プログラムが企画されている。この中でも特に「習俗とアート夜話」と題したスタディシリーズは、新長田の町をアジアの様々な地域にルーツを持つ人々が暮らす「マルチ・エスニック・タウン」と捉え、町の歴史や多文化共生の様々な事例を講師を招いて学んでいくもの。ここから視点を地理的な/横のつながりへと広げる今回は、ゲストにニブロール主宰の矢内原美邦氏を迎え、2015年に文化庁文化交流使としてアジアの国・地域を回り公演を行った経験から、各国の最新の舞台芸術事情を聞く会となった。私は本講座シリーズに初めて参加した。

矢内原氏が訪れた国・地域から今回取り上げられたのはシンガポール、マレーシア、タイ、ベトナム、インドネシア、台湾、フィリピンの状況。ダンス制作に国家から助成がつくシンガポール、アートセンターやコレクティブが複数存在しシーンが活発なマレーシア、国立劇場が主流で演劇が盛んだがピチェ・クランチェンのような世界的なダンス・アーティストを輩出したタイの3か国のように、日本と状況はほぼ変わらない程度に舞台芸術が盛んな国々がある。(ただ、こうした国々でも「制作」という仕事が独立した職種として確立しておらず、アーティスト自身がマネージメントを行っていたり、それぞれが仕事を持ちながら場所・スペースを運営していたりする。)他方、アメリカとの戦争を経た現在、カンパニーは少ないがお客は非常に熱心で、若い人たちがダンス・演劇に飢えていると感じられるベトナム、稽古中にもモスレムのお祈りの時間がやって来るインドネシア、といったようにそれぞれの歴史、国家体制、民族構成、宗教の違いをつぶさに感じる旅でもあったようだ。検閲の厳しい国もあり、官憲の目をかわしながらその都度公演にこぎつけているマレーシアの例、また大谷燠氏からは質疑に応える形で、軍政のもと美術家たちが作品を形に残さないようにと始めたパフォーマンスアートが身体表現の主軸となっているミャンマーの例など、政治的に厳しい状況下での活動の在りようも聞いた。国ごとに事情が違い、その異なる状況のもと、矢内原氏はニブロールのダンサーたちを呼び寄せたり、現地でオーディションをしたり、滞在先で新作を作ったりと様々な形で公演をやり遂げていった経験を豊富な写真とともに語ってくれた。受け入れの劇場や各都市のダンスシーンにおけるキー・パーソン(アーティスト、プロデューサーなど)も、この日聞きに来ていたダンサーたちに向けて「ここを訪ねてみるといい」などのサジェスチョンとともに紹介された。

アジアで出会うアーティストたちはコンテンポラリーのダンサーもいれば伝統舞踊の踊り手たちもいる。ダンサーのメンタリティについては稽古開始の時間は守られることはないが、本番近くなると自ら望んで夜中まで励む真面目さがある。一様に語ることは出来ないが、急速な経済発展のもと、まだ若年世代の人口が多い東南アジアの国々は社会全体に勢いがあり、国家や社会の民主的な制度や活動環境は未完成な面があるとしても、それらの整うのを待つよりも先に表現への欲求に溢れ、アーティストたちが活発に動いている様子が感じられるレポートだった。それぞれの話には鷹揚さやどこか寓話的なユーモラスさも滲む。その一方、緊張を強いられた場面もある。タイでは滞在中に稽古場から至近距離の寺院で死亡テロが起きた。これを受けてダンサーたちと話をしながら、人間の尊厳や権利に纏わる戯曲をシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』に想を得て書いた。貧困や戦争、世界の闇、いかなる状況にあろうと人が備え、保ち続ける良心についての劇だという。

矢内原氏の話は単にどの国・地域にどんな舞台人がいてどんな劇場や組織があって、といった事実関係にとどまらず、アーティストとして直面した事態に対する自らの判断や思考にまで言及され、生きた情報という以上に語りそのものに迫力があった。イントロダクションではアジアという「外」へ向かうことの意味を、「すごい内側とすごい外側は繋がっている」という表現で語った。一人、内心と向き合って過ごすことが多いという矢内原氏だが、国境を越えて思いっきり外の世界に出ていくこと、そこで遭遇する出来事の中にほかでもない自分自身と響きあうものを見出していく。“言葉の通じる”“業界内”の関係では望みようのないものがあるのだろう。

東南アジアを回ってみて実感するのは、自分たちが「教えに行く」という状況では(もはや)ないということだという。経済面ではまだ日本からの技術指導といった関係も存在するが、アートにおいては日本のアートを押し付けるといったことは一切ない、与えるなどということは出来ない、というのである。かつてニブロールがヨーロッパやアメリカでツアーを続けていた時期、彼の地のハイソサエティーに対して「日本では今こういう傾向にありますよ」と見せて歩くような感覚が辛かったという。ある意味、ジャッジされる立場に自らを置く経験だったのだろう。2014年からアジアへ行き始めてみると、(見せる相手は)“原チャリ”で乗りつけてくるような地元の人々であり、東京ブランド、日本ブランドへの興味もあって旺盛な好奇心をもって臨んでくる。西洋に倣った近代化をどちらが先に遂げたかによって優劣の関係に置かれるのではない在り方を矢内原氏は見出しており、そこに可能性を感じているようだ。それは日本にいてもアジアから押し寄せる表現のパワーに触れるたびに、私たち自身も確かに感じ取っている何かであり、おおいに肯けた。彼らの作品に対してジャッジメント(とりわけ美学的な)を下すような対し方は、可能性の中にある大切な未来を取り逃がすことになるだろう。矢内原氏はさらにその先に抱く夢についてもひと言話してくれたが、ここではオフレコにしておく。実現する日を心待ちにしよう。

今回の矢内原氏の登壇は「アジア女性舞台芸術会議」と連動している。如月小春、岸田理生といった女性舞台人の先輩世代が立ち上げ、現在矢内原、羊屋白玉ら気鋭の演劇人らが引き継ぎ発展させているコレクティブ=集合体について、時折耳にするも(如月小春の時代に、伴戸千雅子らが主宰した女性舞踏グループ「花嵐」が参加したことがあったと記憶する)実際の活動を知らずにいたのだが、今年6月に新長田にアジア5か国10人のアーティストが滞在し、トークの会などが催されたのを皮切りに、今秋は「Kobe-Asia Contemporary Dance Festival #4」にて朗読劇上演とトークが企画されている。またKYOTO EXPERIMENT 2017でもシンポジウムが組まれている。何かが動き出そうとしているのか。ダンスにおいて、また世界で、日本で今起きつつあること議論されるべきことはたくさんあり、それらを自分自身に引き寄せ、具体的に考えることを促してくるのが“亜女会”の存在だ。「アジア」「女性」「舞台芸術」この3つの言葉が私を喚起する。6月のトークの会で示された12個のキーワードは、


    境界        検閲        ジェントリフィケーション

    不可視       移民        隠された歴史

    神話        女性        記憶と記録

   アウトサイダー   未来(10年後)    災害


私が、そしてあなた自身が境界を生き、移動と定住を繰り返し、公私様々なレベルでコンフリクトを経験しているのではないのかとの問いかけが、違う歴史を生きている女性たちと出会うことが出来るかもしれない予感を孕んで、身体の奥にある何かを突き動かすのだ。












2017年9月25日月曜日

ダンス講座



びわ湖ホール主催による「バレエ・ダンス講座」のバレエ編を舞踊ジャーナリストの菘あつこさんが、ダンス編を竹田真理が担当しました。ダンス編の講座を9月18日(日・祝)に無事終えました。講座といえばもっぱら聴く側にいた私ですが、昨年、国内ダンス留学@神戸にて「批評家講座」シリーズの一コマをいただいて以来、2度目の経験となります。これまで機会あるごとに気鋭のダンス研究者諸氏によるレクチャーに顔を出し、多くを学ばせていただいてきましたが、そろそろ還元する側に回りなさいという天のお達しかと。2時間の持ち時間で20世紀のダンス史の流れとコンテンポラリーダンスの主な振付家の作品を映像で見ていくという欲張りすぎの内容を企て、手元にある書籍や公演プログラムのありったけを引っ張り出して重要事項をパワーポイントにまとめていく作業は、受験時代に世界史やらのノートを作るなどして以来のことでした。

改めて通史を当たってみると、これまで曖昧に理解してきた事柄がなんとも生き生きと手に取るように感じられて、私自身にとって大きな学びの機会となりました。ドイツ表現主義舞踊など、ラバン、ヴィーグマン、クルト・ヨース、その先にいるピナ・バウシュといった一握りのカリスマとその系譜でのみ掴んでいたのが、時代背景には、健康、体操、ワンダー・フォーゲル、ヌーディズムなど身体を通して新しい生活や文化モードを生み出そうとする社会の大きな機運があったこと、またこの新しい舞踊は、、フライエ・タンツ(自由)舞踊、ノイエ・タンツ(新舞踊)などなど呼び名も様々で固定されず、共通のスタイルなどなかったようで、日々夥しい数の公演が打たれ、舞踊観も作品の主題も内容もさまざま、音楽、衣装、ダンサーの編成、公演する場所、優美なものからなものまでと、ありとあらゆることが試されたのだとか。コンテンポラリーダンスの「何でもあり」などまだ序の口かとさえ思えます。その後ドイツのダンスはその集団性からナチスとの関係を深めていきますが、こうした記述に出会うと、時代の精神、人々の舞踊に託した思いなどが具体的に想像されて実に興味深いです。

1930年代にアメリカのモダンダンスが確立されていく過程にもドラマとダイナミズムを感じます。恐慌後の経済危機の中、ダンスや演劇は労働運動と距離を近くし、デモや集会にも関わったとの記述に出会いましたが、これはグレアム舞踊団の折原美樹さんが「30年代には舞踊団のユダヤ系の女性ダンサーたちがフェミニズム運動に参加していた」と話されていたことに通じてきます。(ただしマーサ・グレアム自身はピルグリム・ファーザーズの子孫であり、マイノリティとしての意識は持たなかったとも。)ダンスに限らず、表現の持ち得る/持たざるを得ない政治性について富みに議論が交わされる昨今ですが、歴史上にはダンスと政治がこのように直截的な関わりを持った時代があったのですね。ダンス史は何度でも発見があり、現在を照らし出す出来事の宝庫です。

もうひとつ気になるのがアメリカのポストモダンダンスの鍵となる人物、アンナ・ハルプリンの存在です。イヴォンヌ・レイナー、トリシャ・ブラウンはじめジャドソン・ダンス・シアターのダンサーらがことごとく影響を受け「ポストモダンダンスの母」とも言われる人で、どの舞踊史の本も少しずつ触れてはいるのですが、どうも実体が掴めません。夫の風景建築家(ランドスケープ・アーキテクト)ローレンス・ハルプリンとともに西海岸に本拠を置き、自然の中で身体感覚を開放し即興を基礎とするワークショップやセミナーの開催を活動の中心としたようです。セミナーにはその思想に共鳴する者たちが世界中から集まったという記述もあり、日本からは川村浪子、田中泯といった人たちが訪れています。川村浪子は夜明けの海岸に全裸で立つなどの身体パフォーマンスを行う人、田中泯が山梨県の白州で農業と芸術を結びつけた活動に入ったのはハルプリンの影響があったとも。ニューヨークを中心とした東海岸の劇場文化やダンス/アートシーンと、西海岸の精神と、ポストモダンダンスの複層的な展開を思わずにはいられません。

レクチャーを終えて感じるのは、ジャーナリズムの役割の大きさです。批評は自身の見方と考察を示すものと取り組んできましたが、後世の人が参照するのは事実の正確な記述であり、「印象批評」と揶揄されますが、いや印象も大切な事実・事象の記録だと思いを新たにする次第。このたびの機会を節目として、また新たな気持ちで劇場に向かおうと思います。

2017年5月19日金曜日

ローザス愛知公演

●5月10日(水)
ローザス『ファーズ-Fase』
@名古屋市芸術創造センター
振付:アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル
出演:アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル、ターレ・ドルヴェン
音楽:スティーヴ・ライヒ(ピアノ・フェイズ、カム・アウト、ヴァイオリン・フェイズ、クラッピング・ミュージック/録音)


ケースマイケル率いるローザスが新旧2作品を携えて日本ツアーを行った。その愛知公演を見る。1982年・作『ファーズ』と2013年・作『時の渦』が日を変えて上演された。二つの作品の間には30年という時が横たわっている。『ファーズ』のミニマリズムから『時の渦』のダイナミズムまでは実に大きな展開があるが、音楽の構造とムーヴメントの関係を作舞の基本構造として追求する姿勢は一貫している。ケースマイケルの出発点と今日の到達点を並置するものと本公演を位置づける言説が多く見られたのも今回特徴的だった。

ニューヨークでポストモダンダンスの洗礼を受けたケースマイケルがベルギーに戻り発表したのがこの『ファーズ』。スティーヴ・ライヒの楽曲を使った4つのパートから成っていて、『Violin  Phase(ヴァイオリン・フェイズ)』と『Come Out(カム・アウト)』はニューヨーク滞在中に、『Piano Phase(ピアノ・フェイズ)』と『Clapping Music(クラッピング・ミュージック)』は帰国後に新たに振り付けた。ケースマイケルにとっては『Asch』(80年)に続く2作目、その後世界中で百数十回公演され、今回の日本公演は発表から35年を数える。翌83年にローザス結成。以上が本作の基本情報だ。

ジャドソン教会派が展開したポストモダンダンスのラディカルで禁欲的な実験は80年代には活動の最盛期を過ぎていたが、ニューヨークにはジャドソンのもたらした自由な実験精神があふれていた。その息吹を浴びたケースマイケルは、そこに開かれた身体言語の地平に立って新しい景色を見たに違いない。ポストモダンダンスがヨーロッパに移植されるルートには二つあると理解している。一つはパリ・オペラ座のカロリン・カールソン、アンジェの国立振付センターのアルヴィン・ニコライ、さらにフランス各地のメゾン・ド・ラ・キュルチュールなどにアメリカからポストモダンダンス系の舞踊家たちが続々と講師として招かれたこと。これがフランスのヌーベル・ダンスを準備した。もう一つのルートがニューヨークに留学してポストモダンダンスの洗礼を直に受け、ヨーロッパに持ち帰って自身の表現形式を確立していった個々のアーティストの活動。ピナ・バウシュがそうであり、ケースマイケルも然りだ。バウシュはタンツ・テアターを独自の方法論をもって確立していった。一方ケースマイケルは音楽の構造をダンスのドラマトゥルギーに据える方法をとった。「ファーズ」はまさにその最初の形で、ミニマル・ミュージックの雄、スティーヴ・ライヒの音楽を得て、そこに生き生きとした生のリズムを吹き込んでいる。ミニマルであることが単に還元的で無機的であるのではなく、旧弊なモダンダンスの約束事を排した後のタブラ・ラサ、新しい地平を前にした清新な息吹を感じさせる作品だ。石井達郎さんがパンフレットの解説でローザスの官能性について触れられているが、おそらく旧来のモダンダンスとは違った意味でのナラティフの要素、歴史性の回復を兆すものと言っていいような気がする。昨年(2016)春に京都に来たトリシャ・ブラウン作品と比べると、その予期された美学への方向性はより納得して感じられるように思われる。

一曲目の「ピアノ・フェイズ」は二人のダンサーが壁前で横向きに並び、ユニゾンで腕を振り子のように振りながら体の向きを変えたり位置を変えたりする。ライヒの2台のピアノによる曲が次第に音列をずらしていくのと同時に、二人の振りもずれを生じ始め、一度は体の向きが正反対になるが、反復を続けるうちにふたたびユニゾンに戻る。曲が16分音符のずれを作っているというから16回の振りで元に戻るということになるか。そうした数理計算上の整合的な面白さもあるが、オフバランスの微かな揺らぎを振付に組み込んだり、ジェンダーを否定しない清楚なワンピースに白いソックスという衣装だったりするのも、これより後に続くローザスの魅力の一端を示すものだろう。二人のダンサーにはそれぞれに2方向から照明が当てられ、背後の壁にシルエットが2体ずつ映るが、そのうち1つずつが中央で重なり、動きがずれていくと同時にシルエットの重なりもずれる。音楽、身体、光と影(シルエット)、3つの要素でユニゾンとずれの時間列を紡いでゆく。壁前で長く踊った後、舞台中央に移動して踊り、さらに舞台前面まで出て来て踊る。それぞれの位置で照明の当たり方が変わり、壁前では平面的な並置の図と幾何学的な運動性が際立つが、前面では陰影が強く出て、少し位相が変わる。

2曲目「カム・アウト」は男性の声で「カム・アウト・ショーレム」と発声する短いフレーズがループするのに合わせて、並んだ二脚の椅子に腰かけた二人が腕のダンスをする。直線的なストロークと上体の向きの変化を素早く間髪入れずに繰り返し、感情を削ぎ落とすような禁欲的な雰囲気で続ける。この動きも同調とずれを主題にしているが、「ピアノ・フェイズ」のような微細なずれが徐々に拡大していくという変化ではなく、素早いテンポのユニゾンの中で瞬時に異なる動きが入り、そのたびに意外さや一瞬の違和感や、微かなエモーションを引き起こす。

3曲目の「ヴァイオリン・フェイズ」はケースマイケルのソロ。大きな円周に沿って動き、さらに円の中心に向けて半径を辿るように動く。動きはミニマルを強調したものではないが、幾何学の理をベースにおいた作品で、自らその理に則して踊るケースマイケルの思慮に富んだ表情が印象に残った。

最後の「クラッピング・ミュージック」はタイトルどおり手拍子によるリズムが反復される中、やはり壁前に二人が横向きに並び、踵を上げて爪先立ったり、膝を前に出したりする動きを反復、継続していくミニマリズムのダンス。手拍子の軽快なテンポに合わせた素早く細かい足のダンスである。衣装は白シャツにパンツ。足の動きがよく分かる。やはり二人の動きにはずれや相違が生じるが一定のテンポの中で再び同調、これを繰り返す。こちらも照明が凝っていて、最初は周囲が暗く、白い壁を背景に、敢えて足部分のみを照らし、フレームで切り取られた“絵”を見せる。しばらくして全体を照らす。内的な奥行きをつぶし、平面上でのミニマム――動きの単位から時間が構成されていくというコンセプトを照明が効果的に伝えていた。





●5月13日(土)
ローザス&イクトゥス『時の渦―Vortex Temporum(ヴォルテックス・テンポラム)』
@愛知県芸術劇場
振付:アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル
出演:ローザス・ダンサーズ
音楽:ジェラール・グリゼー
演奏:アンサンブル・イクトゥス(生演奏)


ローザスでは音楽はバルトーク、ウェーベルンなど近代、現代のものが多く使われる。調整されたアンサンブルにではなく、無調整の音列や不協和音の中にダンスへの契機を見出すケースマイケルの才気、直観、理知の力はやはり卓越したものと言っていいだろう。

来日公演2つめのプログラムである今作はフランスの現代作曲家グリゼーの曲に振り付けたもので、まずアンサンブル・イクトゥスの生演奏から始まる。ピアノ、フルート、クラリネットのアルペジオのパッセージが躍動し、ビブラートのかからない弦の音が並走する。粒立つ音、はじけ飛ぶ音の運動と、音相互の遠近、強弱、対比。あらためて曲を聴くとその色彩感、濃やかな光のような躍動感がいきいきと印象づけられる。だが実際の舞台では床も周囲の壁も暗い色で統一され、より深く抽象度の高い時空の存在を想像させた。アンサンブル・イクトゥスのメンバーは最初のパートを終えて弦と菅の奏者が席を立って退き、しばらくピアノだけが演奏を続けるが、最後にピアニストも上昇するパッセージを颯爽と弾き上げるやいなや立ちあがり去っていく。
下手後方から7人のダンサーが現れる。ひとりひとり、閃きを得るように不定形なムーヴメントを動くが、それぞれの動線や全体の位置関係は天体の運行のようにある秩序のもとに司られているように見える。一階席からは気付かなかったが、床にはいくつかの円の軌跡が描かれていたようだ。ただそれが見えなくとも、中心を少しずつずらしながら、ダンサーが動き、時に走り、渦を巻くように遠く近く、大きく小さく、全体の構造を描き出していくのが分かる。ダンサーは一人ずつが一つの楽器の音に対応しているらしい。スコアの存在を指摘する解説がウェブ上に出ていたが、個々が独立して動きながら、全体は一つの関係性のもとに運行し、なお一人ひとりの身体にさざ波立つような瞬間的で即興的な動きの発露がある。ダンサーとともにミュージシャンも演奏しながら舞台に立ち、グランドピアノもぐるぐると渦巻いて移動する。全体が「時」というものの大きな運びの中に息づいていて、音もムーヴメントも、形に残らない瞬間の現れとして、渦巻く時の運びの中に存在する。

ダンスの動きは技巧的なものでは全くなく、またダンサーはステージの「額縁」を大きくはみ出して、舞台前面の両端にまで出てくる。額縁の中だけのイリュージョンを描くのでなく、現実と舞台を結び、世界の成り立ちのままにダンスもあろうとするケースマイケルの思想を見るような気がする。その虚飾なく自由な創造精神が感じられたのが嬉しかった。それぞれの時間、それぞれの軌跡、その構造と法則、関係性と瞬間の発露。精緻な構造と奥行きをもった宇宙を思わせる空間に生成しては消滅するムーヴメントを見ながら、「存在する」ということを巡る音楽家と舞踊家の思考に引き込まれていく。徐々に鎮まりゆく音と動きの最後の瞬間まで。