2019年6月15日土曜日

tuQmo  『道具とサーカス』

 


ART LEAP 2018

tuQmo ERIKA RELAX×池田精堂 

「道具とサーカス」 

3月13日(水)@神戸アートヴィレッジセンター



【蔵出しレビュー】


KAVCとアーティストが連携し、10か月の制作期間をおいて開催された展覧会。2018年から開始した30~40代のアーティストを対象とした「ART LEAP」という公募プログラムで、作家選定にあたっては公開プレゼンテーションが行われ、そこから選出されたのがパフォーマンスユニット「tuQmo」である。2018年度の審査にあたったのは美術評論家/詩人の建畠晢氏。


建畠氏の選定によるという点にも惹かれたが、今回の私のお目当ては期間中に何度か行われるポールダンサーERIKA RELAXによるパフォーマンスだった。ERIKA RELAXについては2017年1月に日置あつしがアトリエ劇研でおこなった公演に、ドラァグクイーンのフランソワ・アルデンテやダニエル・ジュゲムとともにゲスト出演していたのを見たことがある。ナイトクラブでのショーを主な活動の場とするアーティストたちの麗しく艶やかな出で立ち、見せ場の勘所を押さえたプロの芸能者の仕事ぶりに魅了されっぱなしだったのだが、その中にあってERIKAのポールダンスは、ショーの形式をとりながらも、一つの身体表現としての内的な追求があり、内容的にもピュアで詩的なイメージを伴うものだった。


「tuQmo」のもう一人、美術家の池田精道は、主に木や金属などの素材を用い、「もの」と「他者」の接点の在りようを考察する、と資料にある。今回、会場はKAVC内の3つの部屋を展示に使用しているが、パフォーマンスを行う地下のシアターには、部屋の中央に天井から木製のオブジェが吊り下げられている。三脚の丸椅子を横にしたような造形をモチーフにしたオブジェで、木肌を生かし、整い過ぎないラインを保ったそれは、作家の手による造形物であり、かつ用途をもったデザインの側面をもち、パフォーマンスのための装置でもある。観客席はなくオールスタンディング、壁際に立って鑑賞した。会場は暗く、オブジェの辺りにだけ暖かみのあるライティングが施されている。上演時間が来ると天井からERIKAの足が現れ、オブジェを伝い下りてきて、ポールダンスの技を生かした空中パフォーマンスが行われた。オブジェに身体の部位を掛け、からだの上下を逆さにしてポーズを作る。揺れるオブジェと一体化し、重力とのバランスをとる。途中で池田が現れ、オブジェを地上から引いて重量とのバランスを調節したようだった。会場が暗いのと、見る方向がよくなかったのか、このあたりの装置と操作のからくりをよく見極められなかったのだが。池田は吊り下げられたオブジェから木片の一部を引き抜き、部屋のもう一箇所に設置してある柱状のオブジェに差し込んでいった。柱のオブジェはこれによって一つの造形として完成するということのようだ。パフォーマンスは15分ほどで終了。


もう一つの小部屋にはモニターが一台置かれていて、木のオブジェとERIKAの絡み合う身体を至近距離で撮影した映像が映し出されている。呼吸が聞こえそうな近い位置で撮られた映像は、身体のどの部分を捉えているのか、どこからが身体でどこからがオブジェか、判別しがたい。身体と道具の境界が入り組み、自他の区分が曖昧になった状態から、身体とその拡張としての道具との関係を捉えようとするものに思われた。


 展示のメインと思われる一階の美術ギャラリーには、やはり木製の、シェルフが二種類。引出しを開けるとその中にも製作されたオブジェが入っていて、手をかたどったフィギュアと、それに握られる円筒のようなモノが引出しの開け閉めで揺れるように設計されていた。もう一方のシェルフでは、引出しを引くと声がする仕掛け。あとで資料を読んでわかったが、池田とERIKAがリサーチ中に交わした議論の録音だという。


10か月という制作期間には神戸に拠点を構える職人の仕事場を尋ねたり、造船所のドッグを訪れたりしてリサーチを重ね、神戸の町への関与を深めながら人と道具と身体の関わりを考察していったようである。その様子がレポート資料に残されていた。こうした地域の職人の所在を把握しアーティストと橋渡しするプロセスにKAVCがコーディネーターとして機能していることも見えた。リサーチの過程で「tuQmo」の二人の示す視点はとても興味深く、人と道具、身体とモノ、パフォーマンスと展示を相互に関連させ、KAVCのスペースを複数使ってコンセプトを展開していく意欲的な展覧であると見えた。ただ成果物である展示には空間的、物量的に、パフォーマンスには時間量的に、少々ボリューム不足、迫力不足を感じた。人が道具を使用してきた歴史、身体の拡張としての道具の可能性、パフォーマンスの場における身体と道具・装置・モノとののっぴきならない――パフォーマーの命を預けている――関係性へと、まだまだ視点を広げる余地はありそうだ。