2024年4月13日土曜日

『TOUCHーふれるー』

<蔵出しレポート>

神戸リパブリック KOBE Re:Public Art Project(KORPA) より


2023年2月22日から3月19日まで開催された「KOBE Re:Public Art Project」(KORPA)は神戸市が観光誘客事業として主催したアートプロジェクトである。「パブリックアートをつくらずとも、パブリックにアートはすでにある」のスローガンが語るのは、新たに作っては廃棄する大型イベントの踏襲ではなく、地域に埋もれたものの価値を循環させる、ポストコロナの時代の経済や社会のあり方だ。キュレーターを務めた森山未來のしなやかな知性と出身地神戸への愛着が、新たな時代に即し地域に密着した様々な企画に反映していた。アーティストによるリサーチ、作品展示、交流イベント、AR体験など多彩なプログラムの中から、ここでは3つのパフォーマンス公演について報告する。ダンス、演劇、大道芸と形態は異なるものの、テーマである「神戸の街の再発見」をそれぞれのアプローチで活かしていた点が興味深い。地域アートのプロジェクトの例が多数ある中、パフォーミングアーツをプログラムすることで人々の交流や臨場感、参加の満足度を担保し、「物理的なアートに固執しない、新しい概念のパブリックアートの創出」に適う事例となったことにも注目したい。



『TOUCHーふれるー』

2023年2月24日            @旧住友倉庫、神戸


振付・演出・出演:三東瑠璃 大植真太郎、nouseskou

音楽:内田輝



コンテンポラリーダンスのアーティストによるダンスパフォーマンスが行われたのは新港町の旧住友倉庫。近代日本の貿易を支えてきた歴史的建造物で、大正15年に建てられたレトロスペクティブな雰囲気をもつ巨大倉庫である。内部は太く頑丈な角柱がグリッドに並ぶ広大な空間で、対比される人間の身体はいかにも小さく、通常のスケール感が麻痺する。その空間の魅力を引き出したのが本ダンス公演である。建物全体は幾つかの区画に分かれており、他のスペースでは本プロジェクトに参加中のアート作品の展示も行われていた。アートを見に来た人がふらりとパフォーマンスに立ち寄るといった緩やかな観覧が可能である。


作品『TOICHーふれる―』は2021年に振付家でダンサーの三東瑠璃が自身の主宰するカンパニー≪Co. Ruri Mito≫名義で立ち上げたプロジェクト。三東、大植真太郎、森山未來の顔触れでこれまで東京と横浜で上演している。今回、神戸では森山の出演はなく、nouseskou(山本晃)を加えた3名により上演された。初演時のテキストによれば「風」をメインテーマとし、「場所を限定せず移動し続け」、「留まらない、所有されないなど風の動きを読むような、風と共に動いていく作品」とある。そのたゆたうような、筋書のない行程に3人の気鋭のアーティストが臨んだ。


倉庫内には自然光が入らず、アクティングエリアには舞台照明家(三浦あさ子)の手によるライティングが施されている。ダンサーたちは照らし出された空間や照らされない一隅を自由に回遊する。観客はアクティングエリアの周囲を思いのままに歩きながら、列柱の間に姿を現わしたり、柱の影に消えたりするダンサーの動きを鑑賞する。ダンサーたちは緊張を保ちつつも急くことなく踊り、移動し、柱に身を寄せ、それぞれの居方、佇まいで途切れることのないパフォーマンスの時間を費やしている。時折エリアから退出して姿を見せなくなったと思うと、またいつの間にか戻ってきて、変わらぬ様子でパフォーマンスを継続する。巨大な空間の底をゆったりと行き来するその様子は深海に棲む生き物の生態を見るかのようである。


3人はそれぞれ個性をもったコンテンポラリーダンスのアーティストで、大植慎太郎はヨーロッパの名だたるバレエ団で活躍した経歴の持ち主、三東瑠璃はモダンダンスから出発し強烈な身体表象で見る人の度肝を抜く踊り手、nouseskou(山本晃)は京都のアンダーグラウンドのHIP HOPカルチャーがベースと、異なる出自を持つ。三者とも自然素材のゆったりとしたデザインの衣装(YANTOR)を着ており、三東は赤、大植は麻色のベージュ、nouseskouは紺色の三色。堅牢な柱や天井のアーチを背景に三人が絡むと、象徴的なトリコロールがあいまって荘厳な宗教画を連想した。


パフォーマンスには3人の他に5人の黒子(金愛珠、秋田乃梨子、川崎萌々子、楠田東輝、小松菜々子)が登場する。白いシャツに黒いズボン姿で個性を消した彼女や彼らは、高さ2メートルを超えるパネルを移動させて壁や仕切りを作り、空間を可変的なものにしていく。一定の時間間隔で現れ、文脈を分断するかのように坦々と介入する彼や彼女らこそ、パフォーマンスの進行を振り付けていたのかもしれなかった。


もう一つ上演に加わった要素は内田輝による音楽である。ライブで演奏される楽器は高音が艶やかなサキソフォーンと木製の鍵盤楽器のクラヴィコード。後者は大正琴やハープシコードに似た音色と鍵盤楽器ならではの華やかな響きが特徴的だ。音階が奏でられると音の飛沫が空間いっぱいに放出される極彩色のイメージでパフォーマンスを鮮やかに彩った。


さて、技術も舞踊言語も異なるダンサーの三人は興味深いことに、いずれも自らの得意とするテクニックの誇示や舞踊言語の使用を行わない。そのようにすれば8時間の長大な時間をスペクタクルに脚色しつつ乗り切ることはできるはずだが、三人はそれを封印し、ただ風を受けるように空間に身体を馴染ませる。演技というより「棲息」に近い在りかたで時を過ごすのである。その試みは環境に感応する新たな身体の存在の様式を見出すことでもあった。それぞれの身体が時間の耐え方を模索し、互いの関係性の構築の仕方を探るのだ。三人は時に交差し、互いに触れたり絡まり合ったりリフトしたりと、身体による様々な関わりを生んでは解いていく。或いは接触を持たないにしても、空間のどこに相手が居るかを察知し、自身の配置を選択していくといった、偶発的で即興的、かつ配慮に満ちたパフォーマンス空間が現出していた。急くことなく、棲息のためのゆったりとしたテンポを保った8時間は、フィクションではない時間として、そこに居る・在る身体によって現実に生きられたのである。


技術や強度のアピール、丁々発止のやりとり、緩急、速度、ダイナミズム、スペクタクルへの志向は資本主義の発想に近しい。一方、この上演に現れていたのは柔らかさや緩さであり、パーソナルスペースの尊重、自然な流れや出来事を受け入れる態度、互いの存在や周囲への配慮である。コロナ禍を経て社会や経済がこれまでとは違ったフェーズに入りつつあると感じられる今日、パフォーマンスが体現したものは持続可能で環境に配慮した新たな社会の価値観に親しい。「風と共に動くような」生き方であり、人新世をキーワードとする本プロジェクト(KORPA)のコンセプトと深いところで響き合うパフォーマンスだったといえるだろう。