2016年5月31日火曜日

akakilike 『あんな衣装を着たかったことは一度もないの』

akakilike
『あんな衣装を着たかったことは一度もないの』
5月1日(日)所見 @京都府庁旧日本館2F正庁

主催・演出:倉田翠
出演:倉田翠 寺田みさこ 花本有加 松尾恵美



Akakilike(アカキライク)は倉田翠が主宰するアーティスト集団。この名義での公演を見るのは今回が初めてである。出演者はその都度決定するのが基本姿勢とのことで、本作にはバレエをベースにもった魅力的な顔ぶれの女性ダンサー4人が揃った。関西ではバレエを基盤にしたコンテンポラリーダンスを看板に掲げている人はほとんどいない。カンパニーよりも緩い形でよいので、続いていくと嬉しい。


さて『あんな衣装を着たかったことは一度もないの』、陶器のように硬質で透明な外観の底に、バレエを壊していく方向とバレエに帰っていく方向とが対流を起こしているような作品だった。会場は京都市内にある重要文化財指定の建物内の一室、赤い絨毯とシャンデリア、窓枠や壁の意匠が典雅な趣を醸す西洋式の広間。この場所に解体されたバレエの残骸が様々なアイコンとなって散りばめられていく。その様子はたとえば美術館の地下の倉庫に名画や彫像が時代や様式の区分なく雑然と置かれている光景に似ているかもしれない。バレエはただのテクニックではなく、内面を支配する美学や規範、価値の体系としてダンサーの人生に立ちはだかっているものらしい。なんとも複雑な思いのこもったタイトルにはそのことに対するアンビバレントな感情――バレエへの敬意、憧れ、愛着、親近感、それらと同等にある反発、批判、不信、劣等感――が投影されている。

最初に扉を開けて入ってきたのは寺田みさこと倉田翠、白い服を着て抑制された表情のまま歩いてくる二人の涼やかでエレガントなこと。倉田はそのまま端まで歩いてゆき、そこから広間全体を眺めている。

寺田は対角線上を進みながら、陶器の破片をひらりひらりと置いていくようにミニマムな振りを行う。右手を上げる、肩に手のひらを置く、もう一方の手も添える、後ろを振り向く。ワン・アクションずつの振りをくっきりとした腕使いで行っていく。テクニックを解除した簡素な身振りがニュートラルに示されていくのだが、これが寺田にかかるとすべてが秘めやかで内実を伴い、腕を欠いたビーナス像みたいに神話的な象徴性を帯びる。

花本有加、松尾恵美も、それぞれにとってのバレエ、もしくは反バレエを踊る。花本は腕を交差させながら走ってきて静かな空間に流れと勢いをもたらし、4人の中では動き、速度、生命感を担う存在。断片化したアイコンを示すような寺田、松尾のワン・アクションに対して、時間要素を引き入れ、フレーズを踊る。広間を大きく使ったキレのある動きで空間に切り込み、旋回して走り抜けていく。

松尾は下手の扉から現れた途端、床に両手を突いたまま固まっており、初めから壊れている。ところがポワントを踏み変えてパの連続を行う段で、見ている誰もが驚かされることになる。精確無二のパの変換がカードを次々とめくるように一定のテンポで行われ、強靭な身体、完璧なフォルムにニュアンスの入り込む余地がない。腕の振りひとつにも音楽を感じさせる寺田やフレーズを踊る花本とはまた違った、バレエという身体システムの凄みを見せた。だが、これとて、壊れたバレエの断片として投入されている。どの人の動きも断片であり、そのかけらに濃厚な意味性が残されている。

演出の倉田はバレエへのコンプレックスを抱えた本作の主催者、脆弱さとともに非道さを隠し持っていて、横たわる寺田の腹に足をのせ、さらに寺田を担ぎ上げて背後の扉の向こうに放り込んでしまう。このシーンは何度か出てくるが、なんとも不条理な展開で、何度目かの寺田は、どういうわけかその部屋に掃除機をかけて、お掃除しており、シリアスに進んでいた作品がナンセンスな方向へぱっくりと口を開けている。

作品は4人の振付要素の反復、再現や、ダンサー間での動きの移植、交換などで隙間なく時間を埋めていく。構成は緻密で、凛とした緊張感が続くが、チャイコフスキー「花のワルツ」で4人のダンスが大いに開花し交錯するクライマックスでは、微かに狂気が滲むようだった。すべてが謎めいていて、意味を結ばず、しかし意味ありげで、現実を映しながら非現実の方へ開かれている。解体されたバレエの断片は失われた神話、歴史、美学を宿すアイコンであり、作品はバレエ批判であると同時に、バレエ言語の再構成であり、別の進化の形だ。


倉田翠は以前にも京都府庁で「すごいダンス」と名付けた京都造形芸術大学卒業生を中心にした公演シリーズを企画した人。松尾恵美とのデュエット『終わり』(演出・村川拓也)が記憶に新しい。松尾はいろいろな振付家の作品に出ていて、自らの振付作品も面白いものを作る。花本有加はKIKIKIKIKIKIダンサーのほか、自身のユニット「はなもとゆか×マツキモエ」ではまた違った面を出していて、6月にはアトリエ劇研で単独公演も。「きたまりに続く若手がなかなか出てこない」と久しく言われていた関西で、いま活発に動いている人たちである。

寺田みさこについては、彼女ほどの踊り手をプロデュースできる人はなかなかいないのだなあと、日頃ぼやいていたところ、このような若手の企画へ参加という形で、京都のローカル・レベルでのパフォーマンスが実現した。バレエを解除した身体も、ベタ足のピエロ歩きなど、どこをとっても雄弁で引き込まれた。

2016年5月10日火曜日

映画『阿賀に生きる』 
4月29日 @神戸映画資料館

監督:佐藤真 
撮影:小林茂
録音:鈴木彰二
1992年/115分/16㎜/阿賀に生きる製作委員会


神戸映画資料館で開催された特集「ドキュメンタリー映画作家、佐藤真の不在を見つめて」のオープニング・プログラムがこのフィルム。ドキュメンタリー映画の傑作といわれる。

昭和40年代、阿賀野川流域に発生した新潟水俣病(当時のNHKニュースなどでは「阿賀野川水銀中毒」と言っていたと記憶する)に見舞われた地域の一つ、新潟県蒲原郡鹿瀬町(かのせちょう)。原因物質の有機水銀を排出した加害企業、昭和電工のひざ元であり、地域住民には被害患者も多い。映画は住民患者とその家族や周辺の人々の日々の労働と四季の暮らしぶりを捉える。風土に根差した人間の生き様の力強さ、逞しさ、厳しさ、非情さは圧倒的で、芸術上の小細工など及びもつかない。ドキュメンタリーとは何より撮るべき対象を発見することに尽きると感じる。脚色よりもセンスよりもカメラワークよりも、そこに現に存在する事実・事象に向き合い、撮るべき核心のありかを見出す眼力。対象に肉薄し、その本質をがっしりとフィルムに捉える強い握力。住民らの生き様も強烈なら、撮影する側も圧倒的な力で撮っている。いや、そう感じさせる技術、演出、切り込み方が、編集も含めて、佐藤真の作家性であるのだろう。

3年にわたる取材の中心を占めるのは80代になる農家の老夫婦、船大工と妻、餅付き職人とその妻や家族など。冒頭は激しい風雨に見舞われる阿賀野川の水嵩を増した恐ろしいほどの流れと、その周囲にある水田で風雨の中、稲を刈り取る農夫と腰の曲がった妻の働く姿を捉える。ぬかるみに足を取られながら鎌を振るい、稲の根元をざくっざくっと刈っていく作業の様子は、まさに地に這いつくばって生き抜いてきた人の営みを物語る。もう足腰も弱り、おぼつかない足元や手元で地を這いながら、しぶとく作業をする老いた身体の崩れそうで崩れない粘り腰が印象に刻まれる。その労働は勤勉というより、まさに格闘。家では小さな食卓に皿やら酒瓶やらが載っており、夫婦が座り、酒を呑み、ものを食べ、他愛ないやりとりをする。部屋の中は雑然としており、効率や利便性で整理整頓された現代の生活空間とは異質な暮らしぶり、家具なんぞは最小限のもののみ、必要な生活雑貨は座した位置から手の届く範囲に置かれており、電話が鳴れば、小さな食卓の下から懐かしい黒電話の受話器を取る。わずかなこしらえ物で食事をし、足りない分は振り向きざまに置かれたポットからご飯茶碗に湯をさしてさらさらとかき込む。椅子やテーブルなどない、地べたに座り込んでくつろぐ暮らし。現在でいうところのキッチン、リビング、寝室を分けた設えなどなく、近代的に整理された居住のしかたとは別の筋立てでモノが配置されている。身体に密着したモノと居住空間のしつらえ方。いや「空間」などという言葉こそ近代以降のもので、ここには生活「空間」とか居住「空間」などなく、身体とモノ、道具、衣服、食料、家屋、壁、床、祭壇、棚に飾られた写真や習字、供え物、それらがある密度をつくって「暮らし」「生活」「生き様」「生態」「生息」「住まい」を成している。

地元の祭りや祭祀の行事、うたやカラオケ大会などの楽しみの場面も撮られている。先の農婦は歌が好きで、家で興が乗った時に口ずさんだ歌「~焼いた魚も泳ぎ出す~・・・」といった民謡をカラオケ大会でも唄っていて、その普通すぎるテンションでの唄いぶりがほほえましい。印象に残ったのは地域の地蔵の前に年寄りの女性たちがあつまり、「つつが虫」の災厄を払うことを願って歌う場面。素朴な民間信仰のうたと身振りが女性だけの慣習として行われ、具体的な内容は全く違うのだけれど沖縄のイザイホーをちょっと連想した。つつが虫とは0.2㎜の小さな害虫で、土中に生息し、農作業のあいまなどに刺されると3人に一人は死に至る風土病。生存のための切実な願いが生んだ祭祀の形を見る。

夫の方は優れた漁猟の腕も持っており、重い鉄製の道具を素手で駆使し、川で鮭を捕らせたら右に出る者はいない。その巨大なかぎ針の形をした道具を手にして、こうして引くんだと言って見せる場面の、道具が手に馴染んだ感覚や、一瞬の引きに反射する身振りにも感じ入るものがあった。川は恵みをもたらし、その恩恵を手にするために、体を張り感覚を研ぎ澄ます。自然や世界を身体で感得し、現代のわれわれが感じているよりはるかに、それらを近く親しいものとして、身体を丸ごと包み込まれながら感覚している。

撮影隊は船大工の暮らしも捉える。今はもう船作りは止めていて、近くまで来た人がちょっと顔を出すと、お茶でも飲んでいけともてなす。撮影チームもそのようにして足繁く立ち寄る。火のそばに座り、茶碗に湯を注ぐ老人の手の表情や茶湯の熱さもカメラは伝える。ある日訪れた家大工は、壁に張られたおびただしい祝儀袋を見て、ずいぶん稼いだだろうと、船大工は袋の中身もいいんだろうと、身も蓋もない話をしつこく言わせようとする。

もう一軒の家では餅つきの様子が捉えられる。評判の餅は、以前は町で売ったほど。重い杵を持ち上げるのは齢70か80にもなる老人である。介添えをするのは娘。妻は身体も弱っており囲炉裏のそばで日がな横になっている。横になったままの顔と喋りをカメラは捉える。老い、病、貧しさ、飾り気のない暮らし、その中のユーモア、可笑しみ、懐かしみ、暖かみをカメラは映し出す。いつぞや西日本はかまどで煮炊きし、東から北の日本は囲炉裏で火を焚くと聞いたことがあるが、ここでの暮らしはもっぱら囲炉裏回りが中心で、人をもてなし、酒を呑み、食事をし、くつろぎ、労働以外の多くの時間をここで過ごすようである。ある時の老夫婦の会話では、夫が身体の弱った妻に「お前など、簡単に殺せる、首をちょっと絞めたらすぐ死ぬ」と言い、妻はへへへと笑っている。恨みや憎しみがある訳でもない、この露骨な言葉のやりとりには、ちょっと驚いた。先の船大工との祝儀袋の話でもそうだが、むき出しというか、会話をオブラートに包むとか、ほめる、持ち上げる、思いやるといった「人あしらい」の技術など通用しないのかもしれない、もっとずっと直接的な感性、虚飾のない関係性を生きているのかもしれない、と思う。

このようにして、労働と暮らしと村の付き合いと行事と自然と風土が平行して画面に現れ、その中に新潟水俣病の裁判と闘争の模様も描き込まれていく。裁判とはいえ、大上段に構えイデオロギー色を出すこともなく、住民の暮らしの一コマであるかのごとく映像に滑り込ませてある。村人のやり取りの中に「おら、指が曲がったままだ」と硬直した手を見せる婦人がいたり、茶を注ぐ手つきに震えが来ていたりするなど、営々と続いてきた暮らしと労働の中に病がひそかに侵入している様子を活写するのである。被害者には昭和電工の従業員も含まれており、そうした人が原告団に加わることには「世話になった会社を訴えるのか」と非難もあったという。この元従業員の話も興味深かった。鹿瀬町に昭和電工ができると遠く九州は鹿児島からも大勢の働き手が来た。町は活気にあふれ、どこもそこも人だらけだった。田畑を耕し、阿賀野川の恵みに依って生きてきた村落にとって、昭和電工は近代そのものだった。加害企業は反面では、地域を拓き、近代化とそれに伴う多くの恩恵をもたらしたのだ。福島と原発の構図に重ならないか。カメラは工場排水が川に流れ込んだ放水口を映し出す。善悪の色分けで語ることのできない社会構造の複雑な変遷を、映画は、一方的な糾弾の姿勢とは一線を画した描写で浮き彫りにする。

ここに撮られた阿賀の人たちの暮らしや労働は、映画が最初に公開された1992年当時であれば、これが私たちの祖先から代々受け継いできた日本人の暮らしの原点なのだと受け止めたかもしれない。生活様式はすっかり違っていても、まだどこか自分の父母や祖父母の生きた昭和やそれ以前の時代、語り継がれ、語り聞かされてきた過去とのつながりというものを感じたことだろうと思う。だが2016年の今、この画面に見る阿賀の暮らしは、おそらく大部分がすでに失われていると感じられて仕方がなかった。もうあのように地を這いつくばって働く日本人はいない、囲炉裏端に背中を丸めて座り込んでいる老婆もいないと思うのだ。92年からの約25年で、それ以前まで営々と継いできたものの最後の灯が絶え、消滅しつつある。

映画は後半もだいぶ進んだあたりで、かの船大工の老人が久しぶりに船を作ることにしたという。しかもこれまで一度も弟子をとったことのない人が、このたびは一人の職人を現場に入れ、製作の傍らで技術を伝授するという。だがその教えを乞う側の人もすでに中年を過ぎている。どうしてもと船の製作を依頼したのは川で船頭を営む人物だった。船を操る生業の中で、この船大工の作る舟が断然に優れているのだという。カメラはその船造りの作業の過程を撮っていく。進水式の様子も撮影される。式には多くの村の関係者が招かれた。お開きになって、出席した一人の人が船大工の手を握って、よかった、おめでとう、本当によかった、と悲願が叶ったというように大声で喜ぶ。その喜びの声にはどこか悲痛さが伴っていて切なくなる。このような船造りはもう継承されていくことはないのだと、これが最後のハレの場であると予感されるからだ。あの川での漁猟の技術も消え去ることだろう。この場面と関連していたかどうかあやふやだが、老人が「(誰それのところで)うまい酒を飲んだ、ほんとうにうまかった」としみじみと繰り返す場面があって、祝福の少ない暮らしの中の限られた喜びを反芻していることが理解されて、心が動かされた。

ドキュメンタリー「阿賀に生きる」は社会派の傑作であり、力強い映像に打ちのめされるような感銘を受けた。だがこれはすでに古典なのだと思った。私たちの現在地はここからさらにまた遠く離れてあり、私たちの闘いを闘わなければならないのだと強く思う。映画特集のそもそものきっかけは、「佐藤真の不在をみつめて」の副題どおりのタイトルで本の出版があったことで、上映前には当の編集者のあいさつがあった。本出版の契機について、昨今の政治状況が少なからずあるとの話だった。『阿賀に生きる』は突き詰めて言えば近代批判としての人間賛歌だが、今日のたとえば原発、例えばメディア、たとえば貧困と格差と分断とテロ等々の現実をみつめるとしたら、このように力強く、人の生き様への信念を感じさせる描き方はもはや出来ず、より皮肉で複層した関係性に向き合わざるを得ないだろう。95年の阪神淡路大震災とオウム真理教事件、そして9.11、3.11を経て世界への認識、というか正義のあり方は変わった。明日よりよくあろうとするより、いかによりましに衰退していくかに心を砕く。グローバル資本主義は末端にまで及び、我々の生の隅々までを支配している。そんな現在のドキュメンタリーが現在の映像作家によって撮られていることと思う。特集の他の作品も見られればよかった。

49歳で亡くなった佐藤真は京都造形芸術大学で教鞭をとっていたはずだ。師事した人たちが今の京都で活躍しているのかもしれない。村川拓也とか教えを受けているのだろうか、今度是非聞いてみたい。