2016年12月6日火曜日

黒沢美香氏を悼んで



12月1日、ダンサー・振付家の黒沢美香氏の訃報が入った。

10月末の国内ダンス留学5期生ショーケース公演『lonly woman』の指導で神戸に滞在され、アフタートークではダンスをみずみずしく語っておられた。11月のダンスボックス20周年パーティでも神戸ダンサーズの『JAZZZZZ』を見届ける姿が客席にあった。それがお会いした最後となった。つい先日のことだ。あまりに早く逝ってしまわれた。

黒沢美香氏の仕事に触れたのは多くが関西においてだが、公演のほか、国内ダンス留学のワークショップを見学させていただいたこともあり、その場に渦巻くエネルギーに圧倒された。何より「黒沢美香」を経験したダンサーたちが――ワークショップにせよ、リハーサルにせよ、公演本番にせよ――なにか尋常ならざる熱をあおり、高揚しているのが傍で見ていても手に取るようにわかるのだった。黒沢美香に出会うことで、踊る動機を問い質され、その人の中のなにか根源的なものが揺さぶられ、ダンスへの向き合い方が大きく変わるというダンサーたちをみてきたように思う。影響力は大きく、日本のコンテンポラリーダンスのゴッドマザーとの異名をとったが、どこか純粋な少女のままのような人でもあった。

ご冥福をお祈りいたします。


少し前のものだが黒沢美香氏について触れている文章を、追悼の意を込めて掲載します。
原稿はダンスボックスで行われた舞踊史講座シリーズ「ダンス解体新書」で、アメリカダンス史の講義を担当された中島那奈子氏からの課題を受け、メモ片手に口頭発表したものをのちに書き起こしたものです。論の荒い部分はご容赦を。





・日本のコンテンポラリーダンス・シーンにみるアメリカダンス史の流れ
 (課題発表の抄録 2012.9.11 @ArtTheater dB 神戸)


 今回は批評に携わる者として、ダンスを踊るのでも作るのでもない、もっぱら客席の側から舞台を見る立場で、アメリカのダンス史の現在への関わりを考えてみる。この場に集まっている皆さんは、ヒップホップやバレエ、あるいは神楽など、様々な踊りと関わっていらっしゃる方々だが、このようなダンサーの集まりの中にいると、ダンスというジャンルの裾野の広さをあらためて感じる。私はその中のごく狭いフィールドのひとつ、コンテンポラリーダンスに限って見て来た人間で、今日はその限られた鑑賞体験から、アメリカン・ダンスに繋がると思われる公演やダンサーを拾ってみようと思う。

 しかし、この課題――日本のコンテンポラリーダンスにアメリカのダンス史の直接の影響を即座に見て取ることは、なかなか難しかった。日本のコンテンポラリーダンスは1980年代の半ばに始まったといわれる。これは主にフランス・ヌーベル・ダンスの影響を受けてのことである。当時日本はバブル経済の真只中にあり、潤沢な企業の協賛金やプラザ合意後の円高の恩恵を受けて海外のビッグ・カンパニーが続々来日した。日本の若いダンサーたちがこの動きに大いに感化、触発され、(それまでの現代舞踊協会系とは違った)新しい価値観をもった作品を作り始めた、というのが定説である。舞踏の土方巽が亡くなりひとつの時代を画したのも、勅使川原三郎がバニョレに行ったのも80年代の半ば(1986年)であり、ピナ・バウシュの初来日もこの頃である。ウィリアム・フォーサイス率いるフランクフルトバレエ団やベルギーのローザスなど、フランス以外でもヨーロッパのアーティストやカンパニーの来日が衆目を集めた。日本のダンス史を画する大きな契機といわれる89年の「ヨコハマ・アートウエーブ」では、勅使川原三郎ら日本勢に加えて、ピナ・バウシュ&ヴッパタール舞踊団、ローザス、ダニエル・ラリュー、ラ・フーラ・デルス・バウスなど、海外からの招聘はこぞってヨーロッパ勢が占めていた。日本のコンテンポラリーダンスの初期は、ヨーロッパからの刺激や影響を多大に受けたといえるだろう。一方、アメリカは一昔前の中心というイメージが、私がダンスを見始めた90年代後半にはすっかり定着していた。

 しかしよく目を凝らしてみると、現在のコンテンポラリーダンス・シーンの中にも、アメリカのダンス史の流れを引くと思われる何人かのダンサーを見出すことができる。ここではその筆頭に、黒沢美香を挙げたいと思う。


 黒沢美香については、まず今年2月、こちらの劇場ArtTheater dBで開催された「Kobe-Asia Contemporary Dance Festival #2」に参加した作品、『Wave』について語りたい。これは1985年の作で、以後、黒沢自身がほとんど封印しかかっていたもので、Kobe-Asia Contemporary Dance Festivalでの上演は全く久しぶりでのことであったという。作品はアメリカのミニマリズムの影響を直に反映している。暗い舞台の中央にうっすらと浮かび上がる人影が脈打っていて、これが一歩進んでは一歩下がり、を繰り返す。歩行という動作のみに特化した、極度に削ぎ落とされた作品である。前へ後ろへの繰り返しが一定のリズムで行われ、やがて歩数を増して舞台の奥行きの距離の全てを前後に往来するうちに、ある時、不意に腕の振りが入り、それまでのミニマムな進行の中に、何か決定的なことが起こったというような、強烈な出来事としてのインパクトをもたらす。人の動作というものが、その最もシンプルな、歩を踏む、腕を振る、という還元された形で示されたポストモダンダンスの精神に則った作品である。

 黒沢でもうひとつ挙げたいのは、10年ほど前、ArtTheater dBが大阪にあった時代の公演(『薔薇の人』)で、舞台の上でひたすら掃除、雑巾がけをするというパフォーマンスだった。途中で肌も露わに着替えをしたと記憶するが、通常の意味でのダンス的な瞬間は訪れず、クライマックスも盛り上がりもない。これには正直、どう見ればいいのかと困惑した。後日、批評仲間の何人かとこの作品について話をした。このとき、本日のレクチャーでも言及のあったジョン・ケージの『4’33’’』を持ち出して話したことを覚えているが、それではこの黒沢のパフォーマンスをどう見るか。「ああ、雑巾がけをしているな、と思って(事実をそのまま)見ればいいのだ」と言う者、「では金を払って雑巾がけを見るのか」と突っ込む者。当時はまだジャドソン・グループについて多くを知らず、このようなコンセプチュアルな作品の存在を否定こそしないものの、実際にはどう受け止めればよいか、戸惑ったものである。

 今回この発表に際して、ある批評誌に黒沢美香へのインタビューがあったのを思い出して昨晩読み直してみた。黒沢は80年代の前半にニューヨークに2年ほど滞在している。ジャドソン・グループのリアルタイムの活動はすでにピークを過ぎていたが、それでもニューヨークにはジャドソンの精神はあふれていたという。それまでの黒沢は、両親とも舞踊家という家庭に育ち、現代舞踊協会系のモダンダンスを踊っていた人で、受賞歴も何度もある。そんな人がニューヨークで全く違った(価値観の)ダンスに出会った。本当に楽しかった、ニューヨークが大好きだったと答えている。挙げた2つの作品は、80年代前半のアメリカ、ニューヨークの、ジャドソン以来のポストモダンダンスの息吹を伝えるものと言えるだろう。黒沢の『薔薇の人』ソロ・シリーズでは、このほか、たとえばキャバレーの踊り子のきらびやかな衣装や、誇張された鎧のような乳房を身に着けるなど、身体に過剰なイメージを付与して踊る作品もあり、実にさまざまな顔をもった、奥の深い舞踊家だと思う。


 次に挙げたいのが、木佐貫邦子である。木佐貫の舞台はまだ私が東京にいた90年代の後半、ほんのわずかに見たことがある。日常的なスケールで動くダンスだが、日常の具体的な動作の引用はなく、すべて独自に作り出された、開発された動きで構成される。ジャドソン派が身振りや動作を対象化してその要素を根源的に突き詰めていった後、そこから新たに動きを作り直していく過程においては、動作は一振り、ストロークとして出てくる。フレーズを作らず、(身体の部位を単位とした)ワン・ストロークを組み立て、編み上げていくことで、ダンスの固有の空間が出来ていく。私が見た舞台では、木佐貫はスタスタとステージに現れると、手のひらを床に平行にかざして、重力を感じ取ろうとするかのような姿勢から始めた。ストーリーがないのはもちろん、ドラマ性、スペクタクル性とも無縁の、ひたすら身体のストロークのみでダンスを紡いで、編み上げていく。(また身体感覚を重視し、空間や場への知覚を鋭くするが、過度に内側に入り込むことはなく、没入による時間の圧縮や意味・象徴の付与をも避けている。)60年代のラディカルさを直接受け継ぐものではないが、ジャドソン派が切り開いたポストモダンダンスの地平のその後を耕すような表現である。日常の動作の引用はしないと言ったが、この公演のアンコールでの踊りに、ふと片手を挙げて左右に振る動きが現れた。ストイックに動きを追求していく中に出てきたこの動きは、客席に向かって手を振っているようにも見え、舞台上の身体言語と、客席のこちら側の通常の日常言語の意味のコードがふと繋がった瞬間だった。客席からは木佐貫に応えるように拍手が広がった。木佐貫も80年代にニューヨークに進出したと記憶する。コンテンポラリーダンス誕生前夜という時代、国内ではドイツのノイエ・タンツに由来する現代舞踊協会系の(もしくは50年代にアメリカから入ってきたグラハムテクニックに基づいた)モダンダンスが主流だった。その日本を飛び出し、新しいダンスの地平を求めた木佐貫のポストモダンダンスは、モダンダンスとコンテンポラリーダンスの間に位置し、両者をつなぐものと言えるだろう。


 身体による動きそれ自体がダンスであることを示す振付家として、アメリカからはジョディ・メルニックを挙げることができる。ジョディ・メルニックは2年ほど前、(ダンスボックスの招聘により)大阪のなにわ橋アートエリアB1で公演を行った。自身の振付作品、および新作振付を、関西在住のダンサーに振り写し、またあらたに振り付けたのである。このときのダンサーはアンサンブル・ゾネの伊藤愛、ソロ・ダンサーの黒子沙菜恵、京極朋彦だった。メルニックの作品でも、物語、感情表現、スペクタクルといった要素の侵入をシャットアウトし、身体とその動きのみに限定した厳しい振付だった。これもまた動きのミニマムを積み重ねていくことで空間を構築していくような振付で、メルニックに話を聞いたところ、トリシャ・ブラウンに影響を受けており、自身の作業を「アーキテクチャ」であると説明した。表現的、象徴的な意味作用を担うものではないが、樹が樹であり、雲が雲であるように、身体には身体それ自体の存在の仕方が/様式があるのだとも語っていた。


 さてこのようなアメリカのポストモダンダンスの方向性にあるダンサーを関西に探してみるとどうだろうか。ここで挙げたいのが宮北裕美である。宮北はアメリカの大学で舞踊を修めているので、その経歴から名前が浮かんだともいえるのだが、やはり仕事の内容からもポストモダンダンスの流れを引くアーティストといっていいだろう。宮北が目下、継続的に取り組んでいるのは、手作りで楽器の創作と演奏を手掛ける音楽家、鈴木昭男との即興的なセッションである。主に小さなアートスペースを使い、鈴木が作り出すのは身の回りの素朴なモノを用いてその素材ならではの響きや軋みによって鳴る様々な音だ。(これも“オルタナティブな”音楽であり、ポストモダンの芸術のひとつのあり方だろう。)鈴木が次々に音を作り出し、“演奏”する傍らで、それと関わったり関わらなかったりしながら、宮北が踊る。宮北の踊りも基本的に身体の部位をシンプルに使ったワン・ストロークの繰り返しと積み重ねである。ここでも感情表現とか意味や起承転結はなく、身体構造の分析と把握から自然なかたちで生み出される動きである。動きのリソースは常に身体の中にあり、身体からいくらでも踊りが引き出されて尽きることがない。そのままいつまでも踊っていられそうである。そうやって一振り一振りの単位が空間を切り開いてゆく先に、動きの豊穣な沃野、身体言語の広大なフィールドが広がっていく。

 
 以上のダンサーの仕事をよく見ると、多くはソロ・ダンサーの仕事であることに気付く。身一つで舞台に立つ身体の孤高にして敢然たる存在のしかたと、ポストモダンダンスが切り開いた思想的な地平を考えたとき、そこにフェミニズムとの照応関係を見出すことが可能ではないかと私は考えるのである。ダンス表現におけるフェミニズム思想というと、例えばピナ・バウシュの作品で、一人の女性ダンサーがたくさんの男性ダンサーに舞台の上でいじり倒されるといったシーンが、ある非対称な状況を告発しているのだ、といった表象としてのフェミニズムへの言及がされるが、ここではそうした意味・表象のうえではなく、(したがってある関係性におけるイメージと権力の操作としての政治性をいうのではなく、)ただ身体と動き――言語と形式としての究極の自律/自立した体系・時間軸と、弧であり個であることに立ち返る、生きる形式としてのフェミニズムとが共鳴する。ジャドソン・グループの根源的かつ急進的な思考、態度、身体観と、それを経て立ち至る運動としての政治性が、存在の形式として究極の自立を求めるラディカル・フェミニズムの理論、思想、運動と共振する局面が、ここにみられると思うのだ。





2016年11月25日金曜日

DANCE BOX 20周年企画 The PARTY


11月19日(土)

DANCE BOX 20周年企画
The PARTY -Can’t Stop the Dance-    @Art Theater dB Kobe



1996年に大阪でスタートしたDANCE BOXが今年20周年を迎えた。これを記念して縁(ゆかり)あるダンサーや関係者、地元の人々、観客が集い、6時間にわたる祝賀イベント『The PARTY ーCan't Stop the Danceー』が盛大に催された。ロビーには20年分の公演フライヤーが壁を埋め尽くして掲示され、奥に設けられたカフェからは素敵な香りが漂っており、開幕前からすでに祝賀ムード満載である。ダンスボックスでは活動の大きな節目のたびに、こうして人々の集いの場を設けてきた。トリイホールを去ることになった際の「ダンスサーカス100連発!!」。フェスティバルゲートを去る際のお別れのイベント。2011年には3.11の国難というべき事態を受けて、ダンスに何ができるのか、とにかく場を共にしようではないかと、何十人という縁のダンサーが集い、一組10分(5分?)ずつの「ダンスサーカス」を繰り広げた。ここぞという時代の分岐点で、お互いに顔を合わせ、ともに過ごし、考え、対話できる関西のダンス・コミュニティの中心が、このダンスボックスである。このことは大阪・トリイホールから、フェスティバルゲート、東大阪、神戸・新長田と場所を移してきた今も変わらない。会場には懐かしいダンサーの顔ぶれがあり、小さなお子さんを連れている人もいる。老若男女、懐かしい人も新しい人も、地元の人も、四国や丹後や東京からも、さらにダンス界の中の人も外側にいる人も。多くの人の関わりを創出する劇場のあり方をずっと追求してきた大谷燠氏と、スタッフ諸氏の献身とダンスへの愛の賜物だと思う。

第1部 トリイホール時代
第2部 フェスティバルゲート時代
第3部 Dance Circus100連発‼ 抜粋版!
第4部 新長田再生時代
第5部 国内ダンス留学時代
第6部 そして未来へ

以上が当日のプログラム。総合演出はウォーリー木下氏。この時代にこの人、と登場のゲストも豪華な顔ぶれ。20年の歩みを感慨深く振り返ることの出来る見事な構成だった。



以下、参加できなかった人のために全体をざっとレポート。
オープニングパフォーマンスは関西にこの人あり、舞踏家の今貂子が艶やかな打ち掛け姿で力強く地を踏み、酒樽を割って「鏡開き」。次いで企業メセナ協議会専務理事・加藤種男氏による開会宣言、NPO法人DANCE BOX理事長・大谷 燠氏による挨拶、鳥田政明・長田区長による祝辞、NPO法人KOBE鉄人プロジェクト理事長・正岡健二氏による乾杯の音頭と続く。

多くの要人の参加を仰ぐ中、この日「これは」と特に耳を傾けて聞いたのが第2部で来賓の挨拶に立たれた久元喜造・神戸市長のことば。大谷さんにインタビューをする形で「大阪にいた頃と神戸へ来てからの活動に違いはありますか?」「身体にはそれが生きて生活する場所の特性が表れると思うのですが、そうだとすれば、大阪とはまた違った、震災を経験した神戸ならではの歴史や地域性が表現の上にも出てくるのではないでしょうか?」。こと政治や行政に携わる立場の人から、このように芸術の内容に踏み込み、高い見識を示す発言がなされるとは思ってもみなかった。公的な職にある人やスポンサーといった人たちの大方は「コンテンポラリーダンスというものを始めて見たが、意味はさっぱり分からない、だが何だか面白そうだ」とコメントされることが多いのだが、そしてそうした言葉ももちろん「中の人」である我々には大きな励ましであるのだが。久元市長は昨年、新長田で初の開催となった「下町芸術祭」のオープニングにも姿を見せていた。意味不明のまま続いた神戸ビエンナーレに終止符を打ち、新長田の地域コミュニティの中で自発的に育まれる芸術活動の方に未来を見ているのだろう。この若き市長と、神戸のまちで、さらに新しい価値が作り出されていくことになるかもしれない。深い理解を寄せる為政者を頂くことは真に勇気につながるのだと思った。



各パートの司会はいずれも新長田在住の人々。ミャンマーカレーTeTeを経営する阿雲さんご夫妻が第1部、夫のモナイ氏がまずはラップ調で6時間にわたるイベントの口火を切り、途中、小学生のご子息が「オレの父ちゃん・・・♪」と家族紹介をやはりラップで。微笑ましい。第2部以降も「尻池水産」の尻池宏典氏(漁師さんでしょうか)、ガラス職人の古舘嘉一氏(井手茂太・振付『花道ジャンクション』オリジナル出演者)、コミュニティスペース「r3」(アールサン)を運営する合田家の皆さん、「呑み処あづま」(大谷さんの行きつけと思われる)の荒巻綺子氏、ベトナム出身のファン・チォン・クォン氏(横堀さんの旦那さま)と、地元ゆかりの面々が奮闘した。中でも合田家はご夫妻と生後半年になるベビーを含めた4人のお子さんで登壇し、マイクを握ったのは長女の小学生、とても利発なお嬢さん。はきはきとした口調と落ち着いた司会ぶりに一同感心しっぱなしだった。



さて、各パートにはそれぞれゲストパフォーマンスが用意されていた。過去の名企画のダイジェストや、この日のためのお祝いパフォーマンスだ。関西の男性ダンサー陣による「GUYS」の復活パフォーマンスは、ラベルの「ボレロ」にのせ、メンバーひとりひとり(内山大、サイトウマコト、佐藤健大郎、竹ち代毬也、中西朔、村上和司、ヤザキタケシ、由良部正美)がこれまでのダンス人生における数々の愚行を懺悔する趣向。振付のヤザキタケシらしいユーモアと男子の愛すべきダメダメ感が笑いを誘う。

「黒沢美香&神戸ダンサーズ」、文、きたまり、中間アヤカ、福岡まな実、藤原美加と精鋭ぞろい。きらめくボディスーツに奇抜なメイクで身体のピッチを高く保った5人が、尻を振るなど定番の振付を踊る。客席には黒沢美香氏本人の姿もあった。

以下、順番は前後するが、
アンサンブル・ゾネによる「お祝いの儀」は遠くに思いを届けるような心を込めた踊り。岡さんが深紅のバラを大谷さんに献上して祝意を表す。

地元、神戸野田高校ダンス部の参加も嬉しいことだった。大歓迎だ。夏のオールジャパン・フェスの映像を流したほか、3年生エースの女子生徒がのびやかで溌剌としたソロを披露してくれた。

同じく地元から、もうお馴染みとなったパクウォン、趙恵美ご夫妻が主催する融合芸能「チングドゥル」は、朝鮮半島の太鼓と舞の披露、こちらも祝祭感にあふれた見事なパフォーマンスだった。

『新長田のダンス事情』で出会った「藤田幸子舞踊教室」から4人の女性による新舞踊はいわば日舞をポピュラーにした踊り。揃いの着物で登場、民謡や昔の流行歌で踊る。コンテンポラリーなぞわかりませんとおっしゃるご婦人方が憎めない。『新長田のダンス事情』は筒井潤・演出で、地域の舞踊文化の裾野の広さと奥深さを探査するプロジェクトだった。


この日、特に忘れがたいのが『ティクバ+循環プロジェクト』だった。西岡樹里が出演者をひとりずつ紹介、ダンスボックスが始めた「循環プロジェクト」がベルリンの障害者のための芸術活動を主宰するティクバと出会い、砂連尾さんの演出で完結の形をとるまでの流れがわかる。この出会いのプロセスが重要なのだ。だがこの日、プロジェクトは次の局面へ。相模原で起きた障害者施設の事件に言及し、「生きていい命といけない命があるのでしょうか」と、白井宏美、福角宣弘、福角幸子、森田かずよ、各氏の、当事者としてのそれぞれの言葉、それぞれの身振りが、客席へ、というより社会に向けて訴えかけたのである。福角幸子さんが満身の力で「こ・ろ・す・な!」と繰り返す。生存を賭したプロテストであり、いつの間にか暴力と非寛容が横行する場所になってしまった私たちの社会への、切々とした、切迫したメッセージだった。車椅子を使用したり、身体に障害を抱えたりしているパフォーマーの動きは、発する言葉は、ゆっくり、とつとつとしているが、その訴求力は特別のものだった。


楽しみにしていたのが『Dance Circus 100連発‼ 抜粋版!』、12組のダンサーが登場した。yummydanceが踊りながら紅白のリボンを張り、大谷さんと文さんがテープカット。そのほか、しばらく公演を離れている人も含め、こんなにいいダンサーがたくさん、今も変わらず我々を魅了することに驚く。ダンサーというのは、第一線を離れたとしても、もうダンサーではなくなるなどということはないのだ。踊りの記憶や経験がその人をダンサーたらしめ続けているのであり、一日たりとも鍛錬を欠かさないというダンス道的な倫理とはまた違ったもう一つのダンスの身体の真実であると思う。吾妻さんの踊りなど素晴らしいし、懐かしい。若手では国内ダンス留学4期生の葛原敦嘉がパンキッシュな作品を作ってきた。本人は両性具有の魅力を発揮。一期生はこうも揃ったかと改めて思うほど個性派ぞろい。一組12分ずつ、暗転で次々登場して踊るダンスサーカスはダンスボックスの初期からの名企画、ダンサーの名刺代わりと言われた。今回は5分ずつ、でも十分に魅力とエッセンスが伝わってくる。
出演:yummydance、目黑大路、安川晶子、葛原敦嘉、吾妻琳、上野愛実、山下残、j.a.m. Dance Theatre、ハイディ S.ダーニング、山本和馬、福森ちえみ+中西ちさと+西岡樹里+中間アヤカ+田添幹雄+木村玲奈、坂本公成+小寺麻子


忘れてならない今年の国内ダンス留学@神戸の5期生は、講師のひとり井手茂太・振付によるショート・ピースをお祝いパフォーマンスとして上演した。



このほか、パートごとに大谷さんの挨拶のコーナーが組まれ、ゲストとのトークを繰り広げた。上田假奈代氏はフェスティバルゲートに入っていた4つのNPOのひとつ、「NPO法人こえとことばとこころの部屋」の代表。現在は大阪・西成区でゲストルームを運営している。フェスゲ時代からそれぞれの道をすすんで今があり、お互いに大変な時期も、お金回りも、といった同志ならではのお話。
JCDN水野立子氏もやはり同志からのお祝いメッセージを、なんとラップ調で。途中でリズムは崩れたものの、20年を舞台の裏側から辿ったこれ以上ない祝福と応援の言葉。
真陽ふれあいのまちづくり協議会委員長の山本豊久氏は、dBスタッフとの銭湯での出会いからアジコン(Kobe-Asia Contemporary Dance Festival)参加に至ったという神戸の紳士。お話の端々から大谷さんと飲んで話すのが本当に楽しいという思いが伝わってきて、暖かいお人柄を感じた。



さらに「思い出トークショー」というコーナーがあり、私は批評家による「たくさん見て来た僕たちだから」に出演したのだが、思い出自慢にでもなろうかというところ話は思わぬ方向へ。時間切れで最後の私の言葉がコンクルージョンみたいになったが、あれはまあちょっとあのように言ってみたという程度のものであって、結語というより、たたき台だ。古後さんはもしかしたら、感想を自由に、即興的に言い合うことで、私的な思考が公(おおやけ)に開かれていくような場、というものを想定しているのではないか。それは現況のアフタートークなどより、もっと躍動的で、各々が自分自身の思考の手綱を手放し、瞬発力で発言し合い、自身の思考が他者のそれと出会ったり触発されたり転覆したりするような、思考のスポーツのような場、境界に立ちながらパフォーマティブに思考する場、といったようなことであるかもしれない。それはたぶん「批評とは孤独なものだ」と言った私の発言とは対照的な態度になるが、その両輪がダンスを巡る言説を面白くスリリングにすることは確かな気がする。そしてそれは特別な場を設定せずとも、終演後のロビーででも、すぐに始めることが出来るかもしれない、と思うがどうだろう。話の続きができるといいのだが。



第6部、締めのパフォーマンスは塚原悠也、コンサート形式に見立てて作品構想メモを朗読したり、企画書/バランスシートを検討してみたり、照明スタッフとのコラボでパーライトのあれこれを照射して見せていったり。これらが一つ一つ「曲」という見立てのパフォーマンスで、上演以前の構想、企画、制作の実相を現場の作業やアーティストの経済といった側面から語る。舞台の裏側の、創造を紡ぐ時間へのオマージュ、であると同時に、脱力した外し(はずし)感の中にひそませた、ひとつの闘争の形。

さて、こうして過ごしたThe PARTYの大詰め、「閉会宣言 未来へのプロローグ」に現れたのは、このために駆け付けた北村成美だ。鮮やかなグリーンの衣装を着て、はじけるようなパワーを全身から放出し、「おめでとうございます!北村成美です!」と芸人魂に徹した場の運び、盛り上げ方、さすがというほかない。最近は主にコミュニティダンスの仕事で全国を駆け回り、顔を見ることもままならないが、本当にいつのまに、こんなに大きなアーティストになったのだろう。関西のダンスシーンを象徴し、ともに歩んできた人である。会場全体を一つの渦へと巻き込み、ダンサーも観客もフロアからステージに上げて、パーティの祝祭感は最高潮に。皆大いに踊り、華やかな閉幕となった。



以上、内容の濃い6時間、誰もが人生の通過地点でお互いを祝福し合った日。ここからまた次の歴史が始まる。












2016年7月31日日曜日

山下残の授業発表公演


書きそびれたレビューのためのアーカイブ


2015年725日(土)


山下残 授業発表公演 『水のような、水』

@京都造形芸術大学 松林館屋上




京都造形芸術大学が位置する瓜生山を急勾配の階段に沿ってさらに高く上ったところに、京都の町を見下ろせる素晴らしい眺望をもった広場があり、ここに野外舞台が設営されている。薪能の上演などを行うこともあるというこの場所で、山下残が指導する舞台芸術学科のクラス発表公演があった。この日の午後、アトリエ劇研で別の公演があり、そこで会った人から情報を得て、午後5時からの発表に急遽駆けつけた。



天井も囲いの壁もない、床面のみが地面から1メートルほどの高さに組まれた舞台。盛夏の午後5時はまだまだ炎天下である。両サイドには金属パイプが高く組まれていて、パイプの口から舞台上に水が流れ落ちる仕掛けになっている。リノリウムを張った床は水浸しになり、ここにパフォーマーが水にまみれて身を滑らせる。出演者は7名、舞台の両サイドにしゃがんで待機している。一緒にいるスタッフは水圧のコントロールをしているのか、水は時に強く流れ落ちたり、弱まったり、止まったりする。



舞台上には常に何人かのパフォーマーがいて、音楽はなく、リズムもとらず、ただゆったりと、ストレッチを効かせたさまざまな動作を行う。環境に水という要素が加わることで、普段には経験しないような特別な体の感覚と運動が引き出される。



身体が水にぬれる、水をかぶる、という事態は、身体が何事かを「被る」ことである。実際のところ、服は濡れ、重量を増し、肌にまとわりつき、体温を奪う。身体にとっては甚だ煩わしい負荷となる。この日のような酷暑の中ではむしろ涼やかな恩恵というべきだが、いずれにせよ水との格闘を繰り返すうちに、この「負荷」のかかった事態はやがて「開放」へと転じる。水を浴び、身を浸し、戯れの中に涼しさや滑らかさの快感を得る身体。床面へのスライディングなど、動きにも通常には不可能な種類が加わり、スピードも増幅される。水に濡れることのもたらす厄介さとの格闘と、水をまとうことで開放される身体感覚と自由度を増す運動。負荷から快楽へのグラデーションをリアルタイムで経験しながらパフォーマンスはすすむ。



7人は入れ替わり舞台に出入りし、自らの身を挺してたっぷりと、動きの中で、この特別な条件下での体感を享受している。水にまみれたパフォーマーたちの肌が、夏の午後の日差しを受けてきらめき、生命を謳歌する。その悠然たる様子は波打ち際に身を横たえる海獣を連想させた。山下残に『動物の演劇』という作品があるが、何かの動物か生き物の生態を眺めているようでもあった。



水際を生きる身体の感覚は見る側にも十分に伝わってくる。子供の水遊びや動物の水浴はいつまで見ていても飽きないものだが、この日の舞台でもパフォーマーたちの姿を飽くことなく見続けていたかった。ドラマ的な設定はないが、水が止まり、水音が止むと訪れる静かさとか、舞台上に人がいなくなる瞬間の空白などが偶発的なメリハリになる。水は舞台の上では制御されつつも不確定な要素で、その不確定性、偶発性をはらんだ条件のもとにありながら、個々の身体の即興的な対応は、水の与える開放や快感原則に導かれてゆったりと鷹揚にすすんでいく。



この身体と水との関わりを、パフォーマーたちは何度も何度も、飽くことなく試し、探り、繰り返し味わっている。その存分な様子が、生きてここにあることを丸ごと受け入れ喜ぶ姿であると映った。あるいは、この特別な条件下での身体経験の繰り返しの中に、身体が何か新しい感覚へと開かれていく契機を見出そうとしていたのかもしれなかった。進化の木の枝分かれする瞬間とはこのようなものかもしれない。その方向もあり得るという新しい感覚や機能を、彼・彼女らの身体は水にまみれながら獲得しかかっていたのではなかったか――こんな想像力の遊びの余地を含んだパフォーマンスには、分かりやすい着地点などない分、たどり着こうとする場所への射程の大きさがあった。



山下残の授業発表としては、一昨年、『庭のようなもの』を上演したのを見たが、アイホールでのオリジナル版とはまた違って、コミュニケーションの方法をより動きに特化した躍動的な舞台になっていて、大変面白かった。今回は既存の作品の再演ではなく、授業を通しての新しいパフォーマンスの創作である。作品の意図などについて直接聞くことはなかったが、山下ならではの集団創作のスケールの大きさを感じる舞台だった。














 

2016年6月13日月曜日

蔵出しインタビュー 笠井叡氏に聞く

このインタビューは2015年4月の京都芸術劇場 春秋座公演『今晩は荒れ模様』に先立って実施し、春秋座ニュースレターに内容を圧縮した形で掲載されましたが、記事に入らなかった部分のお話も非常に面白く、是非多くの人に読んでもらえるよう、笠井叡氏と京都造形芸術大学舞台芸術研究センターの了承を得て、ほぼ編集なしで公開するものです。



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笠井叡氏インタビュー (ほぼ)書き起こし

実施日:2015年2月9日
京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター 春秋座楽屋にて      



――本日は、来る4月に予定されています新作『今晩は荒れ模様』についてお伺いするとともに、笠井さんのこれまでの歩みや舞踏について、コンテンポラリーダンスの状況と絡めながらお話をお聞きしたいと思います。

まず私事を申しますと、ダンスの取材や批評活動をはじめたのが90年代の後半、コンテンポラリーダンスのブームが起き始めていた頃で、舞踏の創成期から全盛期をリアルタイムでは知らない世代の一人です。笠井さんを知ったのは、東京の国際舞踊夏期大学で行われていた木佐貫邦子さんのクラスを覗きに行ったことがあり、そのワークショップ・シリーズに笠井さんの講座もありまして、見学させていただいたのが最初の接点です。笠井叡さんは土方巽、大野一雄とともに舞踏の創成期を担ったお一人ですが、当時の公演では木佐貫さんとの即興デュオ『Yes, No, Yes, No』、上村なおかさんなど若手のダンサーと共演された『Spinning Spiral Shaking Strobo』など、コンテンポラリーダンス・シーンで活躍されていたという印象があります。その後私が関西に移りましたので、それ以上あまり多くを拝見できていないのですが、京都ではここ春秋座で2003年に『花粉革命』、2011年に『血は特別のジュースだ』を上演されており、今度の新作は春秋座での3作目ということになります。



笠井:それだけご覧になっていれば十分ですよ(笑)。



――春秋座での上演などを拝見しますと、西洋の文学や思想、哲学を背景に、非常に大きく深遠な作品世界を打ち立てられ、そこに笠井さんの身体が即興的に舞うという構図が見えるように思います。



笠井:ああ、そうですか。



――最近では、作品『ハヤサスラヒメ』で、ベートーベンの第九全曲を振付けられ、大駱駝艦とコラボレーションされています。また『日本国憲法を踊る』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞されています。古事記にちなんだ創生の物語であったり、国家の根幹をなす憲法を主題にされたり、非常に重厚なテーマに立て続けに取り組んでいらっしゃるという印象です。そしてこのたびの新作でも、世界を大きな視点から見るような、メッセージ性のある言葉が打ち出されていますね。「(フライヤーを読む)すでに、戦争の時代は終わっている。今、人は歴史が耐える限りのものを日々の生活の中に向かって投げ返している。だから、真新しい緑の野で今晩も、荒れ模様。」ここに込められた新作への思いをお聞かせくださいますか。



笠井:まず、戦争の時代は終わっておらず、これからますます続いていくでしょう。いや厳密には第二次世界大戦で終わっている、終わらせなければいけない。戦争は政治の延長であり最終形態です。が、もし今後戦争があるとしたらそれは単なる破壊だ。その意味ではもう戦争の時代は終わっている。人類がやるべきことはたった一つ、戦争をやめること、克服することです。音楽家がどんなにすばらしい作曲をしたとしてもこれができなければ意味がない。戦争は暴力であり、暴力とは人間のからだの中にあるカオスです。混沌としたカオス、善悪ごちゃごちゃの状態です。昨今の小学校での殺害など理由なく人を殺すという事件は暴力の一番いけない形です。それは自己表現とか何かの解決のためでなく大義なき暴力であって、暴力の最悪の形です。ただ破滅させる、ただ人を殺す…今私たちは最悪の時代に生きている。

この暴力のエネルギーとダンスのエネルギーは、私の考えでは同根です。歴史的に見ると、日本では戦争があると村を上げてのどんちゃん騒ぎ、戦争へと人々を駆り立てる踊りをやっていた。そうして戦争へ行く。ギリシャでは紛れもない戦争の踊りがある。剣と盾で踊り、そのままの勢いで戦争に行く。戦争のエネルギーとダンスのエネルギーは一緒です。無意識のうちに一体になっている。ともに体の中にあるカオスです。ただその取り出し方が違う。ダンスはカオスの中により深く入っていく。ところが戦争のほうは短絡的です。今の時代の暴力はカオスを外に出したものなんかじゃなく、浅すぎる。この間の事件でも、ちょっと木刀の振り方を注意されたからといって小学生を殺傷する。パリのジャーナリズム襲撃のテロでも、あまりに殺害に至るまでが浅い。イスラム国だってそこに何の大義もなく、それどころか何の政治的メリットもない単なる破壊です。今の時代、暴力が「やすく」なってしまった、人間の命もやすくなってしまっている。そういう「やすい」戦争ではなく、戦争を克服する本質的な力、体の中からカオス的な本質を引き出す力を、暴力や戦争の形ではなく、直視することが求められている。ダンスはそのための道具ではありませんが、人間の中にあるカオスがどういう形で現れて来るかを皆が体験することが必要なのです。



――ダンスは芸術の中でも暴力性やカオスに最も親和性のある形態であるのかもしれませんね。



笠井:ダンスを作るときって体の中にあるものを外に取り出すだけではできないのです。時代の中に流れているものと体の中にあるものが一体にならないと。人類全体、時代全体の中でダンスしているのです。



――時代の中で踊るのだということですね。今回の6人はどなたも今この時代に第一線で活躍するダンサーばかりで、このように一堂に会することは普通にはなかなかあり得ないことだと思います。それぞれの出演者に何を期待し、また6人が集まるとどのような場が生まれるとお考えですか。



笠井:期待はしているがまだわからない。去年の5月か6月あたりから一人につき30日をかけて振付をしてきて、6人だから180日、つまりそれぞれのダンサーに振り付けるのに半年かかっていて、まだラン・スルーはしていないのです。また戦争の話にもどりますが、第二次世界大戦は紛れもなく男の戦争でした。ですが女性のもつ暴力性、カオス性というもの、ひょっとしたら新しいカオスの出し方があるのだろうなと思うのです。もし第二次世界大戦で女性が政治と文化を引っ張っていたら――そんなことはあり得ませんけれども――あのような形にならなかったのではないか。私が勝手に思っているのは、女性のカオスは人類の戦争を乗り越える力があるということ。これをもっと吸収して、直接的に現れることはないとしても共存していく。それは昨今の「女性の活躍」とかいう話とは違います。女性のもつ身体性を、私も含めて日本の男性はまだわかっていない、もっと学ばなくてはなりません。

なぜ日本人かというと、日本では能でも歌舞伎でもダンスを作ってきたのは男性です。ヨーロッパでは反対に女性を中心としたクラシック・バレエがある。体の使い方の違いもあるが、クラシックでは男性の美学に合った形で作った形式で女性の身体を出している。それは女性の一つの側面ではあるけれども、女性の本質が出ていません。ひとつの局(極)を出したとはいえるが、まったく出ていない面もあった。それに対してイサドラ・ダンカン、マリー・ヴィーグマンといったドイツ表現主義は女性のソフィア的、つまり感性的な面を出してきた。オイリュトミーもこの流れの上にあるものです。オイリュトミーとは非常に女性のソフィア的、感性的な面と共通するものであるといえるのです。クラシックはソフィア的な理解ではなく、トゥ・シューズを履かせ、チュチュをまとい、ポワントを強要し、物質化されたエロスを、男性が堪能できるようなエロティックな面を出している。そうではない女性の理解というものは、19世紀になって表現主義のダンスによってやっと出せるようになった。日本のモダンダンスではクラシックな女性美でなく、ある意味、解放された女性性が、表現主義により取り入れられた。石井漠、江口隆哉といった戦前のモダンダンスの先駆者たちです。



――日本にはダンス・クラシックの伝統がなかったから取り入れやすかったのでしょうか。



笠井:そうでしょうね。日本ではクラシック・バレエの人口よりモダンの人口の方が圧倒的に多い時代があったのですよ。女性解放の運動と結びつき、ドイツのモダンダンスが取り入れられた時代が。



――そうでしたか、それは知りませんでした。今回の6人のダンサーはまさにそのような、男性の美学を超えるソフィア的側面を出してくれる人達といえますか。



笠井:解放してくれる力を見せてくれると考えています。寺田さんは少し違う面があるが、他は皆さん、男性にはないソフィア的なものをもっている。ただ、その在り方はそれぞれ違っています。

たとえば上村なおかさんは中性的で、女性の持つ広さや深さ、受容する力のある人です。付き合いは長いのですが、彼女はどんなに困難なことを要求しても「ダメ」と「イヤ」は言わない。ただ黙っているか、静かに聞いている。

黒田育世さんは過激性、ちょっと攻撃的といえるくらいの過激さがあります。それまで女性がこんなことまでしないだろうという部分をさらけ出す。ただ彼女にとっては過激でもなんでもなく、自分にとってやりたいことを自然に無理なくやっている、ソフィア的過激さ、さらけ出す過激さがある。



――セクシュアリティの表現においても、ということでしょうか。



笠井:そうです。彼女に『落ち合っている』という、先回のフェスティバルトーキョーで発表した作品がありますが、お子さんを産んだあとの作品で、子を持つ前と全然違う身体が出ていた。母性がテーマですが、それがエロティックでもある。



――普通はエロスの対局にあるのが母性であるという捉え方をしますね。清らかなものであるという。



笠井:彼女の場合はそうではない。たとえば大島早紀子(振付家、Hアール・カオス主宰)にも子供を産んだ後の作品があるが、こちらは自然性を過剰に謳歌するものでした。食欲の強調とか舞台の上でひたすら水を飲むとか、生理的なものを前面に出していた。黒田育世の過激さはそれとは違ったものです。



――白河直子さんは久しぶりの舞台です。誰にも異論のない、カリスマティックともいえるダンサーです。



笠井:そうなのですが、存在自体はものすごく普通です。普通のおばちゃん、八百屋でレジを打っているいようなおばちゃんみたいな人。自分を特別視しない。少しでも鼻にかける人とは絶対に一緒に仕事できません。その普通の人が舞台ではカリスマ的な集中力を発揮する。ただ、今回はH・アール・カオスの彼女ではない白河直子を出すよと言ってある。これまでの彼女は男性が喜ぶような見せ方で、ワイヤーで体を吊るとか裸を晒すとか大島早紀子のフレームの中で輝いていた。



――アクロバティックで挑発的なスペクタクルが持ち味でした。



笠井:それをはぎ取って女性のカオスの深いところを引き出したいと思っています。彼女は年齢を重ねても、まったくその負荷を感じさせない人。



――陰ではものすごく努力する人と伺っています。



笠井:そうなのです。ただ彼女はこれからもずっと変わることなく、あのままでいくでしょう。



――異色とおっしゃる寺田みさこさんについては。



笠井:クラシック・バレエの経歴があるにもかかわらず、バレエと正反対のカオス的表現をする人です。山田せつ子さんと2人で踊った作品はまさにその正反対の面が出ていました。無限に形をつくり変える軟体動物のような体がありました。



――山田せつ子さんが振付けた作品にみさこさんが出演され、ここ春秋座で上演されたことがありましたが、たしかにあのクラシックの身体に舞踏のエッセンスが注ぎ込まれ、それまでのどの舞踏手ともちがった不思議な踊りになっていたのが強く印象に残っています。ここ関西では「砂連尾理+寺田みさこ」の活動時期のことがよく知られていますし、色々な面をもったダンサーですね。



笠井:これはまだ確定していないのですが、今度の舞台で寺田さんはトゥ・シューズを履くかもしれません。本当にどこへ行くかわからない人です。トゥ・シューズは踊り込んでいないと使いこなせない。その意味では技術的に相当厳しいものになるかもしれない。にもかかわらずトゥ・シューズに挑戦したいという踊り子魂が素晴らしい。20分のソロを踊り切るというのは大変な挑戦です、いやこれはまだわかりませんが。山田せつ子さんも含め4人は発散タイプですが、みさこさんは吸収タイプ、視線を引き込むブラックホールみたいな、引き寄せるオーラをもつ人です。上村なおかさんも少しそういう傾向にありますね、魔性系といいますか…(隣の笠井久子さんに同意を求めて)ね、そうだよね。(笑)



――森下真樹さんはコミカルで道化的な面がありますね。



笠井:幅の広い個性を持つ人です。なんでも遊びにしてしまう。ダン活(ダンス活性化事業)で青森県の八戸へ行ったとき、地元の消防団員のグループに振付をしたら劇場が満杯になったそうです。民謡を使ってね。そういう面を持っている人。こちらの春秋座でも昨年『錆から出た実』を上演したでしょう、タイトルも面白いですね。そして酒飲み!



――いわゆるプリマのタイプとも違うのでしょうね。



笠井:プリマではないです、何でも屋です。上村さんと以前に一度デュエットをしたことがあるのですが、二人は見た目が似ていて面白いなと思った。けれども正反対。実年齢では上村さんがお姉さんだが、一緒にやると森下さんのほうがお姉さんに見える。



――さて、そして山田せつ子さん、天使館が輩出したダンサーの中でも第一人者でいらっしゃいます。



笠井:山田さんは(私が主宰した)天使館という研究所の稽古に、私がドイツに行くので閉館するまで8年間すべて出た人です。彼女はどこからこんな動きが出て来るのかわからないゲリラ的な動きをする。どうしてこんな動きをするのだろう、といったような。入門して1年間、壁に立って動かなかった。目だけしか動かないんです。



――安易に動かないということでしょうか。



笠井:その分、いざ動くと、その動きは納得できるものですね。



――やはり天使館出身のダンサーということで託すものも大いにあるのではありませんか。



笠井:彼女には全体をひっぱってまとめてもらおうと思っています。



――以上6名のダンサーに笠井さんはどう絡んでいかれるのでしょう?



笠井:僕はまず冒頭で踊り、6人がソロを踊ってまた最後に出ます。そして全員で踊ります。



――それぞれの存在感が拮抗しそうです。



笠井:ただ、まだ個人ごとにしか作業していなくて、ラン・スルーを行っていないので、繋がりがどうなるか、見えて来るのはこれからです。



――あるインタビューで、笠井さんは作品主義でなくダンサー主義だと話されているのを拝見しましたが、今回も、まずダンサーがいるところから始まるということになるのでしょうか。



笠井:作品主義というのは、私の考えでは構成なりコンセプトなりをまず作るということ。それに対してダンサー主義は、体さえあれば作品になるということ、体が作品とも言えます。



――しかもこれだけの実力あるダンサーがいれば、そこに何も加えることなく成立しそうな気もします。笠井さんは場を作るという役割になるのでしょうか。



笠井:まあ、そうですね。



――その場合、振付というのは、各人から持っているものを引き出すという作業になりますか?



笠井:引き出すということはしません、それなら即興にします。



――その人の経験や身体の中に積み重なった記憶を引き出すことが振付作業だという考え方がこのところ多く見られるようになってきていると思います。それがある面では現在のコンテンポラリーダンスの弱さにつながっているとも思えるのですが。



笠井:私の振付は、中にあるものを引き出す、取り出す、ではなく、その人が一生やっても出てこない動きを与えることです。その人がもっていないものを出したい。いや、同じことかも知れませんが、この振付をしなくては絶対に出てこないというものを与えることで、その人のこれまでになかった面、別の面を引き出すということなのです。



――なるほど。振付という作業について、非常に明快な考え方をお伺いできた気がします。とても興味深いです。

さてここからは笠井さんの舞踏家としての面について伺ってまいります。舞踏の創成期に土方巽や大野一雄と舞台を共にされながら、やがて袂を分かって天使館を設立されます。天使館の舞踏とはどのようなものでしょう?



笠井:まず(二人の影響の)違うところを言いましょう。振付作業は土方から学んだのです。ダンサーに振り付けるわけですが、それは人間関係を作ることから始まります。誰でもいいから振付けて下さい、ではだめで、そこ(振付)にいたるまでの過程が必要です。出会って誰とでも恋愛にならないように、誰にでも振り付けられるわけではない。あの人とは恋人関係、この人とは夫婦関係というように、そこには「振付関係」とでもいう関係性があるのです。私にとって振付関係というのはダンスのカテゴリーより少し手前なのです。その人と舞台を作るかどうかを前提としていないところがあって、舞台化に至る前の時間を共有することが大切です。私の舞台を見てよかったから是非自分にも振付してくれないかと言われるとしても、「あなたとはまだ出会っていないから」ということになる。



――その意味では今回のダンサーは皆、長いお付き合いのある、振付関係にある方々でしょうか。



笠井:長くないのは寺田みさこさんと森下真樹さんのみですね。

即興については、まぎれもなく大野一雄さんが師です。師はたくさんいまして、即興が大野一雄、モダンダンスは江口隆哉、バレエは千葉昭則、彼はパリ・オペラ座のメソッドに則った人で日本にそうした人は他にいなかった。オイリュトミーはドイツのエルセ・クリントです。



――笠井さんの踊りは様々な要素のリミックスなのですね。



笠井:ごちゃ混ぜですよ。



――ハイブリッドといえますね、‘舞踏家’という一言で理解していましたが。



笠井:私にとっての3つの舞踏の条件をお話しましょう。一つめはコンテンポラリーであること。昭和の終わりには昭和の、平成に入っては平成の、現代には現代の踊りというように時代とともにあることです。その意味で文字通りコンテンポラリーであることです。

二つめは人間関係にヒエラルキーを持ち込まないこと。師と弟子でも友人関係にあることです。



――舞台上で主役とその他大勢のコロスや群舞の階層を作らないということでしょうか。



笠井:そういう意味ではないです。コロスの中に素晴らしい人がいてもいい。細かいことを言いますと、私と息子の笠井瑞丈が共に踊る場合でも、カリカチュアとして父子が入ってくることはあっても、人間の上下関係はないと思っています。

三つめは内的であること。どんな物質的な表現をしようとも、その人の内的なものが入ってくるような。抽象的ですけれど、どんな経験もその人の内的な体験として踊りに滲み出てくる。



――目新しい動きを、いわば目の愉しみとして作るというのではないということですか?



笠井:たしかにそういう、目新しいからやるということはあったとしても、それは否定しません、目新しいコンセプトとか絶対人がやらないようなことはいいが、それは一回だけであって、定着させることではない。頬っぺたをパチンと叩いた音が新鮮なダンス体験となることはある。しかしそれを方法論としてしまうと内的じゃなくなる。そう、方法論化しないこと、とも言えますね。簡単に型にしない。(型を)否定はしませんが。



――その都度その都度、なのですね。



笠井:その都度その都度です。そうじゃないとただ型の再現になってしまう。



――型を逃れる、と言いましょうか、きれいな形にはまることから体を逃していくという不断の過程が笠井さんの即興からは見える気がします。



笠井:型には両面あって、型の中に入って自らを燃焼させ、型と心中するほどの人もいますが、そうではなくて、型っていうのはそれを種にして次のステップへ行くためのものであっても、それ自体を目的とするものではないのです。型を踏み台にして次へ行く。わかりますか?



――はい……私なりに理解した気がします。さて、こちらの春秋座は大学内劇場でもありますので、現在の若い人の表現についてお聞かせいただければと思います。昨今のコンペティションなどでもしばしば云われることですが、日常的、身辺雑記的な小さな表現が多く、それは「この私」のもつ一個の体のリアリティを大切にするという姿勢から出てきているとも言えますが、限られた小さな世界で自分探しを続けているようにも見えます。笠井さんは同時代性を意識し、大きな世界観をダンスによって構築できることをご自身で示されていますが、小さな作品を作っていると言われる若い人たちへメッセージをいただけないでしょうか。



笠井:今の人たちは私から見てある不幸な状況に置かれていると思います。情報と機械とパソコン。その海の中で呼吸して育ってきている。第二次世界大戦が終わり、必死になって国家や経済を立て直し、教育の在り方を立て直そうとした戦後、60年代70年代の変動期のすごく大きな運動も含めて、その時期にダンサーだった(私も含めた)人たちと比べると、高度情報社会(に育った人たち)には体が何かということが見えなくなっている。自分探しをしなければどうしようもない、それなしには立ち行かない。そういう表現は小さいかもしれないが、ばかにしてはいけない。狭く、小さな作品でも私はいいと思う。その小ささの中に本当に内的な力がありさえすれば。言葉の使い方、メール一本送ること、その中にも研ぎ澄まされた判断、感覚、気配りがあり、その小さい作業の積み重ねによって、やがて巨大なものに対峙していくだけの力を蓄えることはできる。その中から情報に縛られた体ではない、生のままの体のもつ力をそなえた作品が生まれる可能性はあるはずです。



――大変勇気の出るお話です。若いダンサーや振付を目指す人たちの励みになると思います。本日は舞踏とダンスの現在が繋がるようなお話をお聞きすることができました。有難うございました。



201529日、春秋座楽屋にて  聞き手:竹田真理)




2016年6月1日水曜日

アンサンブル・ゾネ 稽古場公演 7×7



アンサンブル・ゾネ 全作品上演計画 7×7

Place in the Moment』 

5月20日(金) @アンサンブル・ゾネ 稽古場


作:岡登志子
出演:森美香代(ゲスト) 伊藤愛 糸瀬公二 桑野聖子 住吉山実里 中村萌 文山絵真




芦屋にあるアンサンブル・ゾネの稽古場にはこれまでに何度か訪ねたことがある。7×7とは床面の尺だそうで、踊るスペースとしては決して広くはないが、天井が高く、白い壁は清楚で、奥の壁の両隅のわずかなスリットから光が射し込むように設計されている。そのためか閉塞感はない。この稽古場でアンサンブル・ゾネのレパートリー全てを上演していこうという新しい企画が開始した。フライヤーに「陶芸家の窯開きのように」とある。日々ここで稽古をし、創作への思いを巡らす場所、振付家やダンサーの勤勉にして創造的な日常があること、そこから生まれるものを創造のかたちそのままに差し出したいということだろう。


計画の第一弾は2012年の『Place in the Moment』。初演ではコントラバスのライブ演奏が入り、ゲストに中村恩恵が出演した。この作品はダンサーの桑野聖子を「発見」したことで印象に残っている。開始後早々から主題の核心に迫るような迫真の踊りを見せた桑野。この日も大柄な骨格を生かし、小手先の動きにとどまることなく、空間との関係の中に自身の存在を確かめるように踊る。今回は35分のバージョン、初演時にはいなかった若手や新人も出演していて、年月を経る中でレパートリーを継承していく意味もありそうだ。何より若いダンサーが実践を通じてアンサンブル・ゾネの振付言語を体験する場となるだろう。


冒頭のソロを踊ったのが初めて見る人。バレエの基礎があるのかと見受けられたが、バレエとは異なる身体の使い方へのチャレンジでもあるのだろう、つま先立ちなどをしながらたくさんの振付を踊る。国内ダンス留学卒業以来こちらで研鑽を積んでいる住吉山実里は、振付をひとつひとつ考えたり確かめたりしながら踊っている様子だった。糸瀬公二はいつもの誠実で衒いのない踊りに、この日はちょっとしたグルーブ感も出ていた。気の置けない稽古場ならでは。選曲も素敵だった。伊藤愛は落ち着いた踊り。彼女を含めた女性4人のシーンは本作でひとつの見せ場だった。


ゲストの森美香代が入ると、生き生きと場が引き立つ。踊り込んできた身体のしなやかさと懐の深さでゾネの語法を咀嚼しながら、地面から自然に身体が立ち上がっているような、潔くくっきりとした存在感があった。中村恩恵のパートを踊るのかと思いきや、彼女のために岡登志子があらたに振り付けたという。


中村恩恵とのエクスチェンジ・プロジェクトもそうだったが、長いキャリアをもち、自身の方法論を確立し、たくさんの人を教えている舞踊家が、このような形で作業を共にするのは興味深いことだ。互いに異なる舞踊言語を持つ岡登志子と森美香代が、相手に振り付け、振り付けられ、思考や言語を交換し合い、自身の身体を更新し続ける。舞踊家がひとつのジャンルやテクニック、メソッドを自身の出自とし基本の言語とするとしても、キャリアの中ではそれに重ねて機会あるごとに様々なメソッドやテクニックを習得してゆく。自身の身体言語を常に進化させ更新しているわけで、若い時期に学んだバレエであったりモダンダンスであったり、グラハム・テクニックであったり、をそのままずっと固持しているというものではない。またテクニックやメソッドのほうでも、時代とともにその内容は変化し、更新されているのであって、半世紀以上も前のモダンダンスのテクニックが現在もそのまま、昔の古臭いテクニックとして生き延びていると考えるのは(あえてそれを堅持する方向もあると思うが)実際とは少し違うらしい。これは美香代さんが話してくれた。


こうした稽古場とかアトリエでのパフォーマンスは大好きである。劇場公演のための設えなど本来必要なく、ただダンスの生まれる瞬間に触れることで十分にダンスを思考することができる。もちろん、テクニカルを含めた公演形態でなければ提示しえない世界があることを否定するわけではない。間近で見ると、足と床、体の芯と空間の関係から身体のドラマが生じるのがよくわかる。ドラマとは具体的な内容を物語るという意味ではなく、身体の定常的な在りようから、何かが根底で動き、身体と世界の関わりようを変えていく、その大きなうねりのようなプロセスのことだ。合理性や理想を追求するのがバレエなら、ドイツ表現主義の流れを汲むアンサンブル・ゾネの踊りは、現に存在しているこの世界に、実体ある身体を通して、自身の存立の根拠を探り、確かめていくものであるように思える。


プログラムにはもう一つ、岡さんの即興ソロがあった。鮮やかな赤いワンピースを着て椅子に腰かけたところから、少しずつ動きが生まれ、やがて立ち上がり、一瞬一瞬が空間と呼応する。一定のムーブメントとして形を残したり軌跡を描いたりするのではなく、身体と動きが一体になって空間に存在する、その状態、変化するプロセス自体がダンスになり、音楽が終われば残されるものはない。ケレンもハッタリもない、けれども確かなものを見たという手応えと、動く身体の説得力が見た人の印象にのみ刻まれる。さりげなく始まったはずが、何か特別な出来事をこの目で見たような、見事な踊りだった。


2016年5月31日火曜日

akakilike 『あんな衣装を着たかったことは一度もないの』

akakilike
『あんな衣装を着たかったことは一度もないの』
5月1日(日)所見 @京都府庁旧日本館2F正庁

主催・演出:倉田翠
出演:倉田翠 寺田みさこ 花本有加 松尾恵美



Akakilike(アカキライク)は倉田翠が主宰するアーティスト集団。この名義での公演を見るのは今回が初めてである。出演者はその都度決定するのが基本姿勢とのことで、本作にはバレエをベースにもった魅力的な顔ぶれの女性ダンサー4人が揃った。関西ではバレエを基盤にしたコンテンポラリーダンスを看板に掲げている人はほとんどいない。カンパニーよりも緩い形でよいので、続いていくと嬉しい。


さて『あんな衣装を着たかったことは一度もないの』、陶器のように硬質で透明な外観の底に、バレエを壊していく方向とバレエに帰っていく方向とが対流を起こしているような作品だった。会場は京都市内にある重要文化財指定の建物内の一室、赤い絨毯とシャンデリア、窓枠や壁の意匠が典雅な趣を醸す西洋式の広間。この場所に解体されたバレエの残骸が様々なアイコンとなって散りばめられていく。その様子はたとえば美術館の地下の倉庫に名画や彫像が時代や様式の区分なく雑然と置かれている光景に似ているかもしれない。バレエはただのテクニックではなく、内面を支配する美学や規範、価値の体系としてダンサーの人生に立ちはだかっているものらしい。なんとも複雑な思いのこもったタイトルにはそのことに対するアンビバレントな感情――バレエへの敬意、憧れ、愛着、親近感、それらと同等にある反発、批判、不信、劣等感――が投影されている。

最初に扉を開けて入ってきたのは寺田みさこと倉田翠、白い服を着て抑制された表情のまま歩いてくる二人の涼やかでエレガントなこと。倉田はそのまま端まで歩いてゆき、そこから広間全体を眺めている。

寺田は対角線上を進みながら、陶器の破片をひらりひらりと置いていくようにミニマムな振りを行う。右手を上げる、肩に手のひらを置く、もう一方の手も添える、後ろを振り向く。ワン・アクションずつの振りをくっきりとした腕使いで行っていく。テクニックを解除した簡素な身振りがニュートラルに示されていくのだが、これが寺田にかかるとすべてが秘めやかで内実を伴い、腕を欠いたビーナス像みたいに神話的な象徴性を帯びる。

花本有加、松尾恵美も、それぞれにとってのバレエ、もしくは反バレエを踊る。花本は腕を交差させながら走ってきて静かな空間に流れと勢いをもたらし、4人の中では動き、速度、生命感を担う存在。断片化したアイコンを示すような寺田、松尾のワン・アクションに対して、時間要素を引き入れ、フレーズを踊る。広間を大きく使ったキレのある動きで空間に切り込み、旋回して走り抜けていく。

松尾は下手の扉から現れた途端、床に両手を突いたまま固まっており、初めから壊れている。ところがポワントを踏み変えてパの連続を行う段で、見ている誰もが驚かされることになる。精確無二のパの変換がカードを次々とめくるように一定のテンポで行われ、強靭な身体、完璧なフォルムにニュアンスの入り込む余地がない。腕の振りひとつにも音楽を感じさせる寺田やフレーズを踊る花本とはまた違った、バレエという身体システムの凄みを見せた。だが、これとて、壊れたバレエの断片として投入されている。どの人の動きも断片であり、そのかけらに濃厚な意味性が残されている。

演出の倉田はバレエへのコンプレックスを抱えた本作の主催者、脆弱さとともに非道さを隠し持っていて、横たわる寺田の腹に足をのせ、さらに寺田を担ぎ上げて背後の扉の向こうに放り込んでしまう。このシーンは何度か出てくるが、なんとも不条理な展開で、何度目かの寺田は、どういうわけかその部屋に掃除機をかけて、お掃除しており、シリアスに進んでいた作品がナンセンスな方向へぱっくりと口を開けている。

作品は4人の振付要素の反復、再現や、ダンサー間での動きの移植、交換などで隙間なく時間を埋めていく。構成は緻密で、凛とした緊張感が続くが、チャイコフスキー「花のワルツ」で4人のダンスが大いに開花し交錯するクライマックスでは、微かに狂気が滲むようだった。すべてが謎めいていて、意味を結ばず、しかし意味ありげで、現実を映しながら非現実の方へ開かれている。解体されたバレエの断片は失われた神話、歴史、美学を宿すアイコンであり、作品はバレエ批判であると同時に、バレエ言語の再構成であり、別の進化の形だ。


倉田翠は以前にも京都府庁で「すごいダンス」と名付けた京都造形芸術大学卒業生を中心にした公演シリーズを企画した人。松尾恵美とのデュエット『終わり』(演出・村川拓也)が記憶に新しい。松尾はいろいろな振付家の作品に出ていて、自らの振付作品も面白いものを作る。花本有加はKIKIKIKIKIKIダンサーのほか、自身のユニット「はなもとゆか×マツキモエ」ではまた違った面を出していて、6月にはアトリエ劇研で単独公演も。「きたまりに続く若手がなかなか出てこない」と久しく言われていた関西で、いま活発に動いている人たちである。

寺田みさこについては、彼女ほどの踊り手をプロデュースできる人はなかなかいないのだなあと、日頃ぼやいていたところ、このような若手の企画へ参加という形で、京都のローカル・レベルでのパフォーマンスが実現した。バレエを解除した身体も、ベタ足のピエロ歩きなど、どこをとっても雄弁で引き込まれた。

2016年5月10日火曜日

映画『阿賀に生きる』 
4月29日 @神戸映画資料館

監督:佐藤真 
撮影:小林茂
録音:鈴木彰二
1992年/115分/16㎜/阿賀に生きる製作委員会


神戸映画資料館で開催された特集「ドキュメンタリー映画作家、佐藤真の不在を見つめて」のオープニング・プログラムがこのフィルム。ドキュメンタリー映画の傑作といわれる。

昭和40年代、阿賀野川流域に発生した新潟水俣病(当時のNHKニュースなどでは「阿賀野川水銀中毒」と言っていたと記憶する)に見舞われた地域の一つ、新潟県蒲原郡鹿瀬町(かのせちょう)。原因物質の有機水銀を排出した加害企業、昭和電工のひざ元であり、地域住民には被害患者も多い。映画は住民患者とその家族や周辺の人々の日々の労働と四季の暮らしぶりを捉える。風土に根差した人間の生き様の力強さ、逞しさ、厳しさ、非情さは圧倒的で、芸術上の小細工など及びもつかない。ドキュメンタリーとは何より撮るべき対象を発見することに尽きると感じる。脚色よりもセンスよりもカメラワークよりも、そこに現に存在する事実・事象に向き合い、撮るべき核心のありかを見出す眼力。対象に肉薄し、その本質をがっしりとフィルムに捉える強い握力。住民らの生き様も強烈なら、撮影する側も圧倒的な力で撮っている。いや、そう感じさせる技術、演出、切り込み方が、編集も含めて、佐藤真の作家性であるのだろう。

3年にわたる取材の中心を占めるのは80代になる農家の老夫婦、船大工と妻、餅付き職人とその妻や家族など。冒頭は激しい風雨に見舞われる阿賀野川の水嵩を増した恐ろしいほどの流れと、その周囲にある水田で風雨の中、稲を刈り取る農夫と腰の曲がった妻の働く姿を捉える。ぬかるみに足を取られながら鎌を振るい、稲の根元をざくっざくっと刈っていく作業の様子は、まさに地に這いつくばって生き抜いてきた人の営みを物語る。もう足腰も弱り、おぼつかない足元や手元で地を這いながら、しぶとく作業をする老いた身体の崩れそうで崩れない粘り腰が印象に刻まれる。その労働は勤勉というより、まさに格闘。家では小さな食卓に皿やら酒瓶やらが載っており、夫婦が座り、酒を呑み、ものを食べ、他愛ないやりとりをする。部屋の中は雑然としており、効率や利便性で整理整頓された現代の生活空間とは異質な暮らしぶり、家具なんぞは最小限のもののみ、必要な生活雑貨は座した位置から手の届く範囲に置かれており、電話が鳴れば、小さな食卓の下から懐かしい黒電話の受話器を取る。わずかなこしらえ物で食事をし、足りない分は振り向きざまに置かれたポットからご飯茶碗に湯をさしてさらさらとかき込む。椅子やテーブルなどない、地べたに座り込んでくつろぐ暮らし。現在でいうところのキッチン、リビング、寝室を分けた設えなどなく、近代的に整理された居住のしかたとは別の筋立てでモノが配置されている。身体に密着したモノと居住空間のしつらえ方。いや「空間」などという言葉こそ近代以降のもので、ここには生活「空間」とか居住「空間」などなく、身体とモノ、道具、衣服、食料、家屋、壁、床、祭壇、棚に飾られた写真や習字、供え物、それらがある密度をつくって「暮らし」「生活」「生き様」「生態」「生息」「住まい」を成している。

地元の祭りや祭祀の行事、うたやカラオケ大会などの楽しみの場面も撮られている。先の農婦は歌が好きで、家で興が乗った時に口ずさんだ歌「~焼いた魚も泳ぎ出す~・・・」といった民謡をカラオケ大会でも唄っていて、その普通すぎるテンションでの唄いぶりがほほえましい。印象に残ったのは地域の地蔵の前に年寄りの女性たちがあつまり、「つつが虫」の災厄を払うことを願って歌う場面。素朴な民間信仰のうたと身振りが女性だけの慣習として行われ、具体的な内容は全く違うのだけれど沖縄のイザイホーをちょっと連想した。つつが虫とは0.2㎜の小さな害虫で、土中に生息し、農作業のあいまなどに刺されると3人に一人は死に至る風土病。生存のための切実な願いが生んだ祭祀の形を見る。

夫の方は優れた漁猟の腕も持っており、重い鉄製の道具を素手で駆使し、川で鮭を捕らせたら右に出る者はいない。その巨大なかぎ針の形をした道具を手にして、こうして引くんだと言って見せる場面の、道具が手に馴染んだ感覚や、一瞬の引きに反射する身振りにも感じ入るものがあった。川は恵みをもたらし、その恩恵を手にするために、体を張り感覚を研ぎ澄ます。自然や世界を身体で感得し、現代のわれわれが感じているよりはるかに、それらを近く親しいものとして、身体を丸ごと包み込まれながら感覚している。

撮影隊は船大工の暮らしも捉える。今はもう船作りは止めていて、近くまで来た人がちょっと顔を出すと、お茶でも飲んでいけともてなす。撮影チームもそのようにして足繁く立ち寄る。火のそばに座り、茶碗に湯を注ぐ老人の手の表情や茶湯の熱さもカメラは伝える。ある日訪れた家大工は、壁に張られたおびただしい祝儀袋を見て、ずいぶん稼いだだろうと、船大工は袋の中身もいいんだろうと、身も蓋もない話をしつこく言わせようとする。

もう一軒の家では餅つきの様子が捉えられる。評判の餅は、以前は町で売ったほど。重い杵を持ち上げるのは齢70か80にもなる老人である。介添えをするのは娘。妻は身体も弱っており囲炉裏のそばで日がな横になっている。横になったままの顔と喋りをカメラは捉える。老い、病、貧しさ、飾り気のない暮らし、その中のユーモア、可笑しみ、懐かしみ、暖かみをカメラは映し出す。いつぞや西日本はかまどで煮炊きし、東から北の日本は囲炉裏で火を焚くと聞いたことがあるが、ここでの暮らしはもっぱら囲炉裏回りが中心で、人をもてなし、酒を呑み、食事をし、くつろぎ、労働以外の多くの時間をここで過ごすようである。ある時の老夫婦の会話では、夫が身体の弱った妻に「お前など、簡単に殺せる、首をちょっと絞めたらすぐ死ぬ」と言い、妻はへへへと笑っている。恨みや憎しみがある訳でもない、この露骨な言葉のやりとりには、ちょっと驚いた。先の船大工との祝儀袋の話でもそうだが、むき出しというか、会話をオブラートに包むとか、ほめる、持ち上げる、思いやるといった「人あしらい」の技術など通用しないのかもしれない、もっとずっと直接的な感性、虚飾のない関係性を生きているのかもしれない、と思う。

このようにして、労働と暮らしと村の付き合いと行事と自然と風土が平行して画面に現れ、その中に新潟水俣病の裁判と闘争の模様も描き込まれていく。裁判とはいえ、大上段に構えイデオロギー色を出すこともなく、住民の暮らしの一コマであるかのごとく映像に滑り込ませてある。村人のやり取りの中に「おら、指が曲がったままだ」と硬直した手を見せる婦人がいたり、茶を注ぐ手つきに震えが来ていたりするなど、営々と続いてきた暮らしと労働の中に病がひそかに侵入している様子を活写するのである。被害者には昭和電工の従業員も含まれており、そうした人が原告団に加わることには「世話になった会社を訴えるのか」と非難もあったという。この元従業員の話も興味深かった。鹿瀬町に昭和電工ができると遠く九州は鹿児島からも大勢の働き手が来た。町は活気にあふれ、どこもそこも人だらけだった。田畑を耕し、阿賀野川の恵みに依って生きてきた村落にとって、昭和電工は近代そのものだった。加害企業は反面では、地域を拓き、近代化とそれに伴う多くの恩恵をもたらしたのだ。福島と原発の構図に重ならないか。カメラは工場排水が川に流れ込んだ放水口を映し出す。善悪の色分けで語ることのできない社会構造の複雑な変遷を、映画は、一方的な糾弾の姿勢とは一線を画した描写で浮き彫りにする。

ここに撮られた阿賀の人たちの暮らしや労働は、映画が最初に公開された1992年当時であれば、これが私たちの祖先から代々受け継いできた日本人の暮らしの原点なのだと受け止めたかもしれない。生活様式はすっかり違っていても、まだどこか自分の父母や祖父母の生きた昭和やそれ以前の時代、語り継がれ、語り聞かされてきた過去とのつながりというものを感じたことだろうと思う。だが2016年の今、この画面に見る阿賀の暮らしは、おそらく大部分がすでに失われていると感じられて仕方がなかった。もうあのように地を這いつくばって働く日本人はいない、囲炉裏端に背中を丸めて座り込んでいる老婆もいないと思うのだ。92年からの約25年で、それ以前まで営々と継いできたものの最後の灯が絶え、消滅しつつある。

映画は後半もだいぶ進んだあたりで、かの船大工の老人が久しぶりに船を作ることにしたという。しかもこれまで一度も弟子をとったことのない人が、このたびは一人の職人を現場に入れ、製作の傍らで技術を伝授するという。だがその教えを乞う側の人もすでに中年を過ぎている。どうしてもと船の製作を依頼したのは川で船頭を営む人物だった。船を操る生業の中で、この船大工の作る舟が断然に優れているのだという。カメラはその船造りの作業の過程を撮っていく。進水式の様子も撮影される。式には多くの村の関係者が招かれた。お開きになって、出席した一人の人が船大工の手を握って、よかった、おめでとう、本当によかった、と悲願が叶ったというように大声で喜ぶ。その喜びの声にはどこか悲痛さが伴っていて切なくなる。このような船造りはもう継承されていくことはないのだと、これが最後のハレの場であると予感されるからだ。あの川での漁猟の技術も消え去ることだろう。この場面と関連していたかどうかあやふやだが、老人が「(誰それのところで)うまい酒を飲んだ、ほんとうにうまかった」としみじみと繰り返す場面があって、祝福の少ない暮らしの中の限られた喜びを反芻していることが理解されて、心が動かされた。

ドキュメンタリー「阿賀に生きる」は社会派の傑作であり、力強い映像に打ちのめされるような感銘を受けた。だがこれはすでに古典なのだと思った。私たちの現在地はここからさらにまた遠く離れてあり、私たちの闘いを闘わなければならないのだと強く思う。映画特集のそもそものきっかけは、「佐藤真の不在をみつめて」の副題どおりのタイトルで本の出版があったことで、上映前には当の編集者のあいさつがあった。本出版の契機について、昨今の政治状況が少なからずあるとの話だった。『阿賀に生きる』は突き詰めて言えば近代批判としての人間賛歌だが、今日のたとえば原発、例えばメディア、たとえば貧困と格差と分断とテロ等々の現実をみつめるとしたら、このように力強く、人の生き様への信念を感じさせる描き方はもはや出来ず、より皮肉で複層した関係性に向き合わざるを得ないだろう。95年の阪神淡路大震災とオウム真理教事件、そして9.11、3.11を経て世界への認識、というか正義のあり方は変わった。明日よりよくあろうとするより、いかによりましに衰退していくかに心を砕く。グローバル資本主義は末端にまで及び、我々の生の隅々までを支配している。そんな現在のドキュメンタリーが現在の映像作家によって撮られていることと思う。特集の他の作品も見られればよかった。

49歳で亡くなった佐藤真は京都造形芸術大学で教鞭をとっていたはずだ。師事した人たちが今の京都で活躍しているのかもしれない。村川拓也とか教えを受けているのだろうか、今度是非聞いてみたい。

2016年3月19日土曜日

下村唯のライブパフォーマンス

書きそびれたレビューのためのアーカイブ 3

2015年1月22日(木)
casa carina rosa
@space eauuu (スペース・オー)

Live:
sleepland
Kazuto Yokokara
村上裕
Jomyak + 下村唯


ダンサーの下村唯が神戸は元町の雑居ビル3階にある音楽スペースでライブ・パフォーマンスを行った。プログラムにはアンビエントとかエレクトロニカといわれるジャンルのミュージシャンが並んでいる。この手の音楽にはとんと疎く、ライブで聞くのはめったにない体験。すべてのミュージシャンがITツールを駆使して一人で音を操作し、サンプルを何重にもコラージュしながら、一方でギターを弾いたりキーボードをいじったり。音質、音量を適宜変化させつつ。今にも踊り出したくなるようなダンスミュージックではなく、心地よい眠気を誘うタイプの音楽、だが聴く人は飲み物片手にほとんど集中していた様子。

この日、踊りで参加したは下村のみ。キーボード・プレイヤーとのコラボだ。普段着にパーカを羽織った身なりで気負いなく現れ、タップダンスから入って、ほぼ即興で行為を繋いでいく。とても面白かった。ポケットにパフォーマンスのアイデアがたくさん詰まっていて、自然な流れでそこから取り出してくる。幕の内弁当を食べるみたいに、次はこれ、次はこちらと気まぐれに箸を運ぶのに似て。あるいはハム・エッグでも食べるくらいの気安さで。パーカのフード、靴下、身に着けていたキーホルダーなども小道具にしながら、オーディエンスのいるフロアも含めてスペース全体を使って進めていくが、終盤には聴衆の一人に狙いを定め、目力をぐっとあげて接近、カジュアルな感じで進んできたパフォーマンスがここで一気に熱く濃い時間になる。そのまま愛の行為に持ち込むかと思いきや、ふいっと眼差しの緊縛を解いて、全体的にはさらりと踊った気のおけないライブだった。
国内ダンス留学OB,OG,現役3期生、ダンスボックスタッフも見に来ていたが、この日はダンサーvs.批評家の関係はオフ。若きダンス人らと談笑のひととき。

MuDA Exhibition スペシャル・パフォーマンス

書きそびれたレビューのためのアーカイブ 2


MuDA
『MuDA Exhibition
 SPECIAL PERFORMANCE』
2015年1月17日 @江之子島文化芸術創造センター、大阪

作・演出:MuDA
ダンス・振付:Quick、内田和成、三重野龍、出川晋、CHIBIGUTS、
田崎洋輔、福島駿、渋谷陽菜
サウンドデザイン・DJ:山中透
空間デザイン:井上信太


開催中の個展の日程の一日を割いて行われたスペシャル・パフォーマンス。展示会場の一部に細長い通路状の空間を仕立てて演技スペースに。両側に客席用パイプ椅子が並び、観客は30~40名といったところ。

頭髪の片側を剃り上げ、もう片側を長く伸ばした独特の風貌の人がリーダーのQuick。ダンサーは他に7名、みな白塗りにボディペインティングを施し、その皮膚の内側にカオティックなエネルギーを湛えている。

パフォーマンスは集団としてのMuDAの基本となるボディ・ワークを順次披露していくような構成。床上で瞬時に身を返す、或いは地べたをもんどりうつ。単発的だが負荷の高い動作を、ダンサーたちは一列になって訓練の手順を踏むように順繰りに行っていく。だが、内容はまったく淡々としたものではない。どの動作・行為にも、それを行うのに必要とされる以上の強い負荷がかけられ、唸り声や呻き声を伴いながら、ものすごいボルテージをもって実行される。自らを食い破るばかりの暗いエネルギーで身がのたうつ様は、獰猛な獣のようでもあり、肩をぶつけ合っての一対一の格闘などは闘牛を思わせたりもする。一斉に空中に跳び上がり、膝を折った姿勢をとってそのまま落下し倒れ込むと、床に打ち付けられるからだの音が肉体の重量感、量塊感を強調する。円陣を組み、まじないのような言葉を唱和すれば、高揚とともに集団の生む求心的な圧力が誇示される。パフォーマンスは過激で容赦がないが、進行は統率されており、若き男性集団のもつ儀式性の中で、身体の過剰な力が垂直に立ち上がっていく。卑近な例だが、硬派の応援団とか政治的右派にみる、儀礼的な関係の尊重と力の誇示を旨とする集団の身振り、行為といったものに通じる。

無骨なる男どもの肉体のぶつかり合いといえばcontact Gonzoがその先鋒だが、力の発現や関係の生成においてGonzoは水平的、MuDAは垂直的。Gonzoが多くを環境にゆだね、定点のない関係性と成り行きの不確かさを特徴とするのに対し、MuDAは力と統率によってパフォーマンス空間を支配し、ファロス的な求心力と儀式の美学で世界を構築する。会場エントランスのモニターには、いずこかの神社の境内で演じられたパフォーマンスの映像がかかっていた。神霊のための儀礼の空間とはいかにもMuDAにふさわしい。Gonzoなら雑踏や郊外の原っぱ、あるいは山や森や川原だろう。そうしたわけで方向性では両者は対照的だが、関西を拠点にする彼らは互いに交流もあり(塚原悠也がディレクションしたKobe-Asia Contemporary Dance Festival 2013にQuickが出演など)、この日もcontact Gonzoを経験しているダンサーが出演していた。

MuDAの過剰に荒ぶる力は、ともすれば自虐や自滅へと向かうが、これを肉体の酷使や行為の反復を通して昇華し、気化熱の放出の瞬間のように、ある宇宙的な、広大な普遍へたどり着くことを集団は目指している。今回に限らず作品中にたびたびQuickによってアジテーションされるのが、「あらゆる物質の最終形態は鉄である」という、それ自体は多分にいかがわしい独自のテーゼだ。もちろんフィクションとしての世界観だが、鉄のもつ特別の硬度や重量感はなるほどMuDAの志向する身体のイメージにふさわしい。その独自の哲学はサブカルチャー的B級色を帯びてもいて、ボルテージを上げていくほどパロディ色を濃くする。確信犯なのか自覚的であるのか、ちょっと見ていて判断がつかない。今この時代に、垂直的な力の誇示という表象の選択が、どのような思考によってなされているのだろう。たとえば室伏鴻と3人の若き舞踏手による「Ko & Edge Co.」では、男性性の無効化という形での批評が展開されたのだったが。

パフォーマンスは終盤に向けていっそう過激に、過酷になる。通路の両端から互いに全力で疾走してきて中央で衝突する。ラグビーのスクラムのように7名が前屈した姿勢で体を密着させ、エネルギーを充満させながら一塊となって押し合う。脈絡なく全力で遂げられていく行為は、重力に屈する肉体の重みと存在自体の重さ――むしろ卑小さ――を露わにする。そのアンビバレンツを生きる者らの呻きや怒号が今も聞こえるようだ。

2016年2月29日月曜日

Monochrome Circus 『HAIGAFURU Ash is Falling』

書きそびれたレビューのためのアーカイブ1

Monochrome Circus
『HAIGAFURU   ASH IS FALLING』
2015年1月17日(土) @京都芸術センター フリースペース

振付・演出:坂本公成
演出助手:森裕子
出演:合田有紀、佐伯有香、野村香子、森裕子、渡邉尚
作曲:山中透
照明デザイン:藤本隆行


三好達治による詩『灰が降る』をサブテクストに世紀を隔ててなお人類を翻弄し続ける「核」の問題、文明の孕む問題、その中での身体とダンスの未来を考察した作品。
日本―フィンランドのコラボレーション作品として、日―フィン4都市で上演し好評を博した同作品をMonochrome Circusのダンサーに委嘱。ヴァージョン・アップして京都初演を行います。
――――公演フライヤーより


2011年3月11日の東日本大震災に伴う福島第一原発事故を受けて、坂本公成が核と人類を巡る黙示録的な主題に正面から取り組んだ作品だ。コンテンポラリーダンス作品の中で3.11以来私たちが向き合わざるを得なくなった現実を、心情的レベルを超えてこのように明確に主題化した例が他にあるだろうか。東北の被災地へ芸術面からの復興支援で訪れるダンスアーティストや関係者は多い。被災地に伝わる伝統芸能を復興の精神的な足掛かりにしようと立ち上げられた「習いにいくぜ‼」のプロジェクトなど、ダンスというジャンル特性を生かした貢献には大きな意義があり、私自身敬意を払っているつもりであるし、何かの形でコミットしていけたらと思う。芸術のもつ社会的な機能は苦境に直面する場においてこそ発揮されるべきだろう。だがこうした直接的な支援の活動が続々報告される一方で増してくるのは、アーティストはなにより、表象によって時代に応えるべきではないのかという思いだ。あの震災と原発事故をどう受け止め、それ‘以後’をどう生きるのかを、表象活動を通じて思考することが表現に携わる者の絶対に放棄してはならないはたらきではないか。「まるで失語症に陥ったかのよう」と述べた人がいたが、コンテンポラリーダンスから3.11に言及する作品が出てこない中、坂本公成による本作『HAIGAFURU/ASH IS FALLING』は、原発事故と放射能汚染の問題を主題化した、少なくとも関西で見ることのできる現在ほとんど唯一のダンス作品といっていいだろう。本作は2012年、JCDNとフィンランドのダンスセンター、ZODIZCの共同企画により、フィンランドで滞在制作されたものである。フィンランド国内で公演を行ったのち、鳥取「鳥の演劇祭」、KAAT神奈川芸術劇場でも上演された。今回はこれを坂本自らが主宰するカンパニー「Monochrome Circus」のダンサーとともにあらたなヴァージョンとして上演する。

本作を作るにあたって坂本がサブテクストとした詩人の三好達治による『灰が降る』。「灰が降る灰が降る 成層圏から灰が降る」のフレーズで始まり、後半には「それから六千五百年 地球は眠っているだろう」と唄う。先に3.11‘以後’と時代を区分して述べたが、本詩はもともとヒロシマ、ナガサキを受けて書かれ、核と放射能の脅威が世紀を超えて人間に重くのしかかる悲劇をむしろ淡々とした調子でうたったものである。この詩を傍らにした坂本の創作は、福島/フクシマの原発事故もまた、人類にとっての、文明史的な、六千五百年という時間のスパンをもって対するほかない出来事であるとの認識のもとにある。被爆国の日本が核の平和利用の名のもと原発によるエネルギー政策を推進してきた事実。地方への原発の押しつけ、安全神話の欺瞞、核は現在の人間の英知によってはコントロール不可能な対象であること、廃炉に40年、使用済み核燃料の最終処分に途方もない年月を要すること。これだけの重大事故を経験しても原発廃止を選択しない日本という国家。フクシマがあらわにした現実に向き合うほど、暗澹たる気持ちに襲われる。

『HAIGAFURU/ASH IS FALLING』は、こうした状況に置かれての坂本自身の苦悩を映し出すかのような舞台だった。カンパンニーの技法の中心であるコンタクト・インプロヴィゼーションは、ここでは完全に封印されている。個の身体と身体の間のリアルな力の交換から関係性を築いていくコンタクト・インプロヴィゼーションが内包する価値観は、億年単位の時間に置かれる主題に対し無力であるとの判断からだろう。この、カンパニーにとっての代名詞ともいえる技法を「封印」した事実が、何より坂本の抱く危機感を伝えているように思う。実際の舞台はコンタクトインプロ以外のモノクロームサーカスならではの身体言語を存分に用いつつ、人類の受難の表象を提示していくといったものだった。冒頭ではろうそくの灯を手にしたダンサーたちが暗い客席に現れ、口々に「Ash is falling」と囁きながらステージフロアへ降りていく。客席前面で裸電球が大きく振り子状に揺れる。この後、舞台ではLED照明が駆使されることになるが、ろうそく、電灯、LEDの提示は文明の発展段階を示しているという。人類の英知へのせめてもの希望を託そうというのだろうか。

作品の構造は極めて明快だ。演技するフロアの最奥から客席手前までの距離を、5名のダンサーたちが横一列の隊形を保ったまま、寄せては返す波のごとく行ったり来たり、行き来を繰り返す。そのシンプルな反復の内からドラマを浮かび上がらせる。

フロアに降りた5人は床上を腹這いになり、もがくように前進してくる。陸地へ辿り着こうと死力を尽くす難民を思わせるその様子は、危機に晒され喘ぐような苦汁を湛え、半裸の姿は剥き出しになった人体そのものだ。崩れ落ちる身体、引き攣れたポーズ。横臥した体側から手足を泳がせ、捩れた手足を差し出しながら床上をでんぐり返って進むなど、フロアムーブメントの様々な応用が歪(いびつ)に展開する。なかでも行き来する距離の中ほどで5人が揃って傾斜をつけ倒立するシーンは強く印象に刻まれる。5つの身体が等間隔で記念碑か墓標のように立ち並び、一体ずつスポットライトに照らし出される光景は、核の閃光を浴びる人類のイメージであり、高度のテクノロジーがもつある種の美しさと破滅への予兆を孕んで極めて象徴的だ。5体の倒立はゆっくり崩れ、スポットライトの中で胎児のように身を丸める。5つのライトがフェイドアウトしても、音を奏でるオルガンの一音が音質のみを変えて響き続けている。

再び照明が入って以降は、この寄せては返す波の往復という大枠の構造のうえに、核に晒され、ゼロと化した歴史の果てに、歪んだ人類のあってはならない歩みが始まるという〝もう一つの”叙事詩が描き出される。大きく身を反らせ、高々と足を上げ、身体の可動域いっぱいの運動性を増したフロアムーブメントによる何度かの往復のあと、ダンサーたちはそれぞれ服を着る。そしてここからいよいよ床から立ちあがってのムーブメントが展開される。重力への意識と反動、遠心力や張力を生かしたモノクロームサーカスならではの動きが次第に熱を帯びていく。最後のシーンはとりわけ示唆的だ。一切の色彩を失ったステージに女性3名のみが起き上がり、茨木のり子の詩『おやすみなさい、大男』のテキストが、やはり3か国語で読まれる。「どこか間違っている」「大切なのはごくわずかです」などのフレーズを含んだ文明批判の詩であることがわかる。女たちが立ち上がり、こちらに背を向け、新たな出発を仄めかし、暗転して終わる。

藤本隆行デザインによるLED照明、山中透による音楽は、廃校を利用した京都芸術センターのフリースペースにスケール感のある空間を創出する。宇宙を思わせる電波音がやがて波音に変わる冒頭は、東北の震災と津波を思い起こさせると同時に、人類の帰し方を想起させるようでもある。LEDライトが激しく点滅し、ノイズの重厚な重なりの奥に人の叫び声が混じり、壊滅的なカタストロフィのイメージが立ち上げられる。藤本はフィンランドのレジデンス制作時から参加するチームの一人。LEDライトは対象をベタに照らし出すことがなく、赤青緑の原色もストロボ点滅も繊細で抽象度が高く、受苦の人体の生々しさを主題のもつ普遍的な時間のスケールに繋げる。山中は今公演のためにあらたな作曲も加えたという。空間の密度を上げる重厚なノイズ、そこに重なる波の音や人の叫び声が3.11を具体的に想起させる一方、レクイエムのような響きの箇所は荘厳さを感じさせる。後半の凍えるような低音部のリフレインにはシベリウスを連想させる響きがある。テクノロジーに基づいた音響の構成が作品の謳うテーマの普遍性と、言ってよければ宗教的な色調を舞台に与え、微かな救済の兆しを見るようにも思われてくる。

アフタートークの内容を記しておくと、フィンランドで制作した初演ヴァージョンと今回では内容的に大きく違う点はない。ただフィンランドは建設中の核廃棄物処理施設オンカロを抱える国であり、現地のオーディションで選んだダンサーたちと創作を通して核をめぐる話をたくさんしたという。金髪のダンサーたちとの作業の「国際性」は、原発事故が突き付ける問題を日本という枠を超え、地球規模で捉えざるを得ないと感じさせたという。日本を離れて制作することで、原発事故に右往左往する日本という国(の愚かさ)を外から見ることにもなった。また藤本によれば、現地での会場は工場跡の廃墟で天井が高く客席は遠い。そうした条件が作品のもつスケール感やデザインを方向づけた。今回は黒髪のダンサーたち、舞台と客席が近いことなどが、より当事者であることを感じさせたという。フィンランドでの滞在制作が3.11を人類の受難という概念に繋げたと言ってよいようだ。

ところでこのフィンランド制作版を、それ以前に坂本が鳥取のコミュニティダンスチーム「とりっとダンス」と共に作った作品『それから六千五百年 地球は寝ているだろう』と対比してみると興味深い。こちらは鳥取で滞在制作され、2012年3月11日、JCDN主催「踊りに行くぜ‼ セカンド」の一演目として京都で上演された。3.11からちょうど一年後という日付だが、この前年の9月にすでに鳥取の「鳥の劇場演劇祭」で初演されている。あの震災と原発事故の後、約半年後には作品が作られていたわけである。『HAIGAFURU』で用いられたいくつかのモチーフは『それから六千五百年・・・』にすでに現れている。タイトルが三好達治の詩『灰が降る』の一節から採られているのも同様であるし」、波の音、ろうそくの灯もすでに出現している。同じ主題、同じモチーフによる創作にコミュニティ・ダンス、国際共同制作、自身のカンパニーへの委嘱と、3つの体制でそれぞれ取り組んできたことになる。この中で最初の取り組みとなる『それから六千五百年・・・』は、震災と原発事故の直後の混乱や不安が鳥取という被災地から離れた地域でも切迫感を持って受け止められるといった状況下で生まれた。生と死、受け渡されていく命を巡るさまざまなインスピレーションに満ちたコミュニティ・ダンスの秀作だが、一般市民である「とりっとダンス」のメンバーたちとの創作には、今ここに立って生きていることの手応えと、生き延びるための連帯をメッセージとして含んでいたと思う。そのことは、この希望の見えない光景を描く作品の後半に、谷川俊太郎の詩『生きる』をダンサーたちが口々に発語するシーンからも届いた。教科書にも載る谷川のこの詩は、一般の人々が自身にとっての「生きる」とは何かを綴りインターネット上で連作したことでも知られる。この詩のもつ力が、不安のさなかに作られたコミュニティ・ダンスに力とモチベーションを与えたのだ。

さて、コミュニティ・ダンスが人々の連帯と生きることの手応えを感じさせたとすれば、今回のカンパニーによる上演は原発事故から4年という年月を経て、むしろ苦悩の色を濃くしている。原子炉3号機4号機の放射能漏れを巡る対応にせよ廃炉への道のりにせよ、状況は時間の経過とともにますます混迷の度を深めている。希望を見出すことのできない重い現実を投影した作品を、今回坂本は、自らのカンパニーに振り付けた。自身の苦悩を、身体言語を同じくする、全幅の信頼を置くカンパニーのダンサーたちに預けたのだ。コンタクト・インプロヴィゼーションは封印したものの、本作の振付はMonochrom Circusの日常的に訓練している身体言語であり、床上の動き、立ちの姿勢での動き、いずれも普段のボディ・ワークに即したものである。ダンサー達は動きを引き受け、振付の意図を自らの意志に重ね、各々が獲得している身体言語に存分に語らせるのである。5人のダンサーは横一列に位置し、同時に同じ動きをするものの、それぞれの身体の咀嚼によってアウトプットのされ方は個別的であり、5人で動きをきっちりと揃えるといったことはしない。むしろひとりひとりが自立した表現者として振付を動いており、危機を生きる主体としての身体で踊る。それぞれの解釈の深度が強くしなやかな動きににじみ出るような、深々と使った身体による見事なパフォーマンスだった。表現者がカンパニーを持つことの意味を考えさせられた。