2016年11月25日金曜日
DANCE BOX 20周年企画 The PARTY
11月19日(土)
DANCE BOX 20周年企画
The PARTY -Can’t Stop the Dance- @Art Theater dB Kobe
1996年に大阪でスタートしたDANCE BOXが今年20周年を迎えた。これを記念して縁(ゆかり)あるダンサーや関係者、地元の人々、観客が集い、6時間にわたる祝賀イベント『The PARTY ーCan't Stop the Danceー』が盛大に催された。ロビーには20年分の公演フライヤーが壁を埋め尽くして掲示され、奥に設けられたカフェからは素敵な香りが漂っており、開幕前からすでに祝賀ムード満載である。ダンスボックスでは活動の大きな節目のたびに、こうして人々の集いの場を設けてきた。トリイホールを去ることになった際の「ダンスサーカス100連発!!」。フェスティバルゲートを去る際のお別れのイベント。2011年には3.11の国難というべき事態を受けて、ダンスに何ができるのか、とにかく場を共にしようではないかと、何十人という縁のダンサーが集い、一組10分(5分?)ずつの「ダンスサーカス」を繰り広げた。ここぞという時代の分岐点で、お互いに顔を合わせ、ともに過ごし、考え、対話できる関西のダンス・コミュニティの中心が、このダンスボックスである。このことは大阪・トリイホールから、フェスティバルゲート、東大阪、神戸・新長田と場所を移してきた今も変わらない。会場には懐かしいダンサーの顔ぶれがあり、小さなお子さんを連れている人もいる。老若男女、懐かしい人も新しい人も、地元の人も、四国や丹後や東京からも、さらにダンス界の中の人も外側にいる人も。多くの人の関わりを創出する劇場のあり方をずっと追求してきた大谷燠氏と、スタッフ諸氏の献身とダンスへの愛の賜物だと思う。
第1部 トリイホール時代
第2部 フェスティバルゲート時代
第3部 Dance Circus100連発‼ 抜粋版!
第4部 新長田再生時代
第5部 国内ダンス留学時代
第6部 そして未来へ
以上が当日のプログラム。総合演出はウォーリー木下氏。この時代にこの人、と登場のゲストも豪華な顔ぶれ。20年の歩みを感慨深く振り返ることの出来る見事な構成だった。
以下、参加できなかった人のために全体をざっとレポート。
オープニングパフォーマンスは関西にこの人あり、舞踏家の今貂子が艶やかな打ち掛け姿で力強く地を踏み、酒樽を割って「鏡開き」。次いで企業メセナ協議会専務理事・加藤種男氏による開会宣言、NPO法人DANCE BOX理事長・大谷 燠氏による挨拶、鳥田政明・長田区長による祝辞、NPO法人KOBE鉄人プロジェクト理事長・正岡健二氏による乾杯の音頭と続く。
多くの要人の参加を仰ぐ中、この日「これは」と特に耳を傾けて聞いたのが第2部で来賓の挨拶に立たれた久元喜造・神戸市長のことば。大谷さんにインタビューをする形で「大阪にいた頃と神戸へ来てからの活動に違いはありますか?」「身体にはそれが生きて生活する場所の特性が表れると思うのですが、そうだとすれば、大阪とはまた違った、震災を経験した神戸ならではの歴史や地域性が表現の上にも出てくるのではないでしょうか?」。こと政治や行政に携わる立場の人から、このように芸術の内容に踏み込み、高い見識を示す発言がなされるとは思ってもみなかった。公的な職にある人やスポンサーといった人たちの大方は「コンテンポラリーダンスというものを始めて見たが、意味はさっぱり分からない、だが何だか面白そうだ」とコメントされることが多いのだが、そしてそうした言葉ももちろん「中の人」である我々には大きな励ましであるのだが。久元市長は昨年、新長田で初の開催となった「下町芸術祭」のオープニングにも姿を見せていた。意味不明のまま続いた神戸ビエンナーレに終止符を打ち、新長田の地域コミュニティの中で自発的に育まれる芸術活動の方に未来を見ているのだろう。この若き市長と、神戸のまちで、さらに新しい価値が作り出されていくことになるかもしれない。深い理解を寄せる為政者を頂くことは真に勇気につながるのだと思った。
各パートの司会はいずれも新長田在住の人々。ミャンマーカレーTeTeを経営する阿雲さんご夫妻が第1部、夫のモナイ氏がまずはラップ調で6時間にわたるイベントの口火を切り、途中、小学生のご子息が「オレの父ちゃん・・・♪」と家族紹介をやはりラップで。微笑ましい。第2部以降も「尻池水産」の尻池宏典氏(漁師さんでしょうか)、ガラス職人の古舘嘉一氏(井手茂太・振付『花道ジャンクション』オリジナル出演者)、コミュニティスペース「r3」(アールサン)を運営する合田家の皆さん、「呑み処あづま」(大谷さんの行きつけと思われる)の荒巻綺子氏、ベトナム出身のファン・チォン・クォン氏(横堀さんの旦那さま)と、地元ゆかりの面々が奮闘した。中でも合田家はご夫妻と生後半年になるベビーを含めた4人のお子さんで登壇し、マイクを握ったのは長女の小学生、とても利発なお嬢さん。はきはきとした口調と落ち着いた司会ぶりに一同感心しっぱなしだった。
さて、各パートにはそれぞれゲストパフォーマンスが用意されていた。過去の名企画のダイジェストや、この日のためのお祝いパフォーマンスだ。関西の男性ダンサー陣による「GUYS」の復活パフォーマンスは、ラベルの「ボレロ」にのせ、メンバーひとりひとり(内山大、サイトウマコト、佐藤健大郎、竹ち代毬也、中西朔、村上和司、ヤザキタケシ、由良部正美)がこれまでのダンス人生における数々の愚行を懺悔する趣向。振付のヤザキタケシらしいユーモアと男子の愛すべきダメダメ感が笑いを誘う。
「黒沢美香&神戸ダンサーズ」、文、きたまり、中間アヤカ、福岡まな実、藤原美加と精鋭ぞろい。きらめくボディスーツに奇抜なメイクで身体のピッチを高く保った5人が、尻を振るなど定番の振付を踊る。客席には黒沢美香氏本人の姿もあった。
以下、順番は前後するが、
アンサンブル・ゾネによる「お祝いの儀」は遠くに思いを届けるような心を込めた踊り。岡さんが深紅のバラを大谷さんに献上して祝意を表す。
地元、神戸野田高校ダンス部の参加も嬉しいことだった。大歓迎だ。夏のオールジャパン・フェスの映像を流したほか、3年生エースの女子生徒がのびやかで溌剌としたソロを披露してくれた。
同じく地元から、もうお馴染みとなったパクウォン、趙恵美ご夫妻が主催する融合芸能「チングドゥル」は、朝鮮半島の太鼓と舞の披露、こちらも祝祭感にあふれた見事なパフォーマンスだった。
『新長田のダンス事情』で出会った「藤田幸子舞踊教室」から4人の女性による新舞踊はいわば日舞をポピュラーにした踊り。揃いの着物で登場、民謡や昔の流行歌で踊る。コンテンポラリーなぞわかりませんとおっしゃるご婦人方が憎めない。『新長田のダンス事情』は筒井潤・演出で、地域の舞踊文化の裾野の広さと奥深さを探査するプロジェクトだった。
この日、特に忘れがたいのが『ティクバ+循環プロジェクト』だった。西岡樹里が出演者をひとりずつ紹介、ダンスボックスが始めた「循環プロジェクト」がベルリンの障害者のための芸術活動を主宰するティクバと出会い、砂連尾さんの演出で完結の形をとるまでの流れがわかる。この出会いのプロセスが重要なのだ。だがこの日、プロジェクトは次の局面へ。相模原で起きた障害者施設の事件に言及し、「生きていい命といけない命があるのでしょうか」と、白井宏美、福角宣弘、福角幸子、森田かずよ、各氏の、当事者としてのそれぞれの言葉、それぞれの身振りが、客席へ、というより社会に向けて訴えかけたのである。福角幸子さんが満身の力で「こ・ろ・す・な!」と繰り返す。生存を賭したプロテストであり、いつの間にか暴力と非寛容が横行する場所になってしまった私たちの社会への、切々とした、切迫したメッセージだった。車椅子を使用したり、身体に障害を抱えたりしているパフォーマーの動きは、発する言葉は、ゆっくり、とつとつとしているが、その訴求力は特別のものだった。
楽しみにしていたのが『Dance Circus 100連発‼ 抜粋版!』、12組のダンサーが登場した。yummydanceが踊りながら紅白のリボンを張り、大谷さんと文さんがテープカット。そのほか、しばらく公演を離れている人も含め、こんなにいいダンサーがたくさん、今も変わらず我々を魅了することに驚く。ダンサーというのは、第一線を離れたとしても、もうダンサーではなくなるなどということはないのだ。踊りの記憶や経験がその人をダンサーたらしめ続けているのであり、一日たりとも鍛錬を欠かさないというダンス道的な倫理とはまた違ったもう一つのダンスの身体の真実であると思う。吾妻さんの踊りなど素晴らしいし、懐かしい。若手では国内ダンス留学4期生の葛原敦嘉がパンキッシュな作品を作ってきた。本人は両性具有の魅力を発揮。一期生はこうも揃ったかと改めて思うほど個性派ぞろい。一組12分ずつ、暗転で次々登場して踊るダンスサーカスはダンスボックスの初期からの名企画、ダンサーの名刺代わりと言われた。今回は5分ずつ、でも十分に魅力とエッセンスが伝わってくる。
出演:yummydance、目黑大路、安川晶子、葛原敦嘉、吾妻琳、上野愛実、山下残、j.a.m. Dance Theatre、ハイディ S.ダーニング、山本和馬、福森ちえみ+中西ちさと+西岡樹里+中間アヤカ+田添幹雄+木村玲奈、坂本公成+小寺麻子
忘れてならない今年の国内ダンス留学@神戸の5期生は、講師のひとり井手茂太・振付によるショート・ピースをお祝いパフォーマンスとして上演した。
このほか、パートごとに大谷さんの挨拶のコーナーが組まれ、ゲストとのトークを繰り広げた。上田假奈代氏はフェスティバルゲートに入っていた4つのNPOのひとつ、「NPO法人こえとことばとこころの部屋」の代表。現在は大阪・西成区でゲストルームを運営している。フェスゲ時代からそれぞれの道をすすんで今があり、お互いに大変な時期も、お金回りも、といった同志ならではのお話。
JCDN水野立子氏もやはり同志からのお祝いメッセージを、なんとラップ調で。途中でリズムは崩れたものの、20年を舞台の裏側から辿ったこれ以上ない祝福と応援の言葉。
真陽ふれあいのまちづくり協議会委員長の山本豊久氏は、dBスタッフとの銭湯での出会いからアジコン(Kobe-Asia Contemporary Dance Festival)参加に至ったという神戸の紳士。お話の端々から大谷さんと飲んで話すのが本当に楽しいという思いが伝わってきて、暖かいお人柄を感じた。
さらに「思い出トークショー」というコーナーがあり、私は批評家による「たくさん見て来た僕たちだから」に出演したのだが、思い出自慢にでもなろうかというところ話は思わぬ方向へ。時間切れで最後の私の言葉がコンクルージョンみたいになったが、あれはまあちょっとあのように言ってみたという程度のものであって、結語というより、たたき台だ。古後さんはもしかしたら、感想を自由に、即興的に言い合うことで、私的な思考が公(おおやけ)に開かれていくような場、というものを想定しているのではないか。それは現況のアフタートークなどより、もっと躍動的で、各々が自分自身の思考の手綱を手放し、瞬発力で発言し合い、自身の思考が他者のそれと出会ったり触発されたり転覆したりするような、思考のスポーツのような場、境界に立ちながらパフォーマティブに思考する場、といったようなことであるかもしれない。それはたぶん「批評とは孤独なものだ」と言った私の発言とは対照的な態度になるが、その両輪がダンスを巡る言説を面白くスリリングにすることは確かな気がする。そしてそれは特別な場を設定せずとも、終演後のロビーででも、すぐに始めることが出来るかもしれない、と思うがどうだろう。話の続きができるといいのだが。
第6部、締めのパフォーマンスは塚原悠也、コンサート形式に見立てて作品構想メモを朗読したり、企画書/バランスシートを検討してみたり、照明スタッフとのコラボでパーライトのあれこれを照射して見せていったり。これらが一つ一つ「曲」という見立てのパフォーマンスで、上演以前の構想、企画、制作の実相を現場の作業やアーティストの経済といった側面から語る。舞台の裏側の、創造を紡ぐ時間へのオマージュ、であると同時に、脱力した外し(はずし)感の中にひそませた、ひとつの闘争の形。
さて、こうして過ごしたThe PARTYの大詰め、「閉会宣言 未来へのプロローグ」に現れたのは、このために駆け付けた北村成美だ。鮮やかなグリーンの衣装を着て、はじけるようなパワーを全身から放出し、「おめでとうございます!北村成美です!」と芸人魂に徹した場の運び、盛り上げ方、さすがというほかない。最近は主にコミュニティダンスの仕事で全国を駆け回り、顔を見ることもままならないが、本当にいつのまに、こんなに大きなアーティストになったのだろう。関西のダンスシーンを象徴し、ともに歩んできた人である。会場全体を一つの渦へと巻き込み、ダンサーも観客もフロアからステージに上げて、パーティの祝祭感は最高潮に。皆大いに踊り、華やかな閉幕となった。
以上、内容の濃い6時間、誰もが人生の通過地点でお互いを祝福し合った日。ここからまた次の歴史が始まる。
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